あにめマブタ

@yokolineのアニメ記事がアップロードされます

あなたを見つけて砂漠を抜け出すこと ~『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』を今考える~

f:id:yoko-sen:20141130132151j:plain

少女革命ウテナ

 というアニメがある。今から17年前、1997年の4月から12月にかけて放映された全39話のオリジナルTVアニメシリーズだ。
 監督である幾原邦彦のもとに結集した若いスタッフ(のちに第一線級のクリエーターとなる人々ばかりだ)が作り上げた本作は、鮮烈なビジュアル/ストーリー/音響で、多くのアニメファンの記憶に独自の位置を占めるに至った。
 今回俎上に上げるのは、TV版放映の翌々年、99年7月に公開された劇場版『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』だ。

 難解と言われる『少女革命ウテナ』シリーズだが、その原因は、ひとつの言葉が、シチュエーションによって全く違った意味で用いられることだ。
 本作には「永遠」、そして「世界の果て」という言葉で言い表されるものとの対立軸がある。それは、永遠に続くもの、絶対に信じられるものは存在するのかしないのか、という議論だ。
 この世界のどこかに限界点、世界の末端があるのだとすれば、永遠に続くものは原理的にあり得ない。であれば、どちらかの立場をとるのであれば、もう片方は否定するしかない。この2つは本作のキーワードであり、またこの対立がどのような結末を迎えるのか、というのが本作の主題・テーマに深く関わってくる。

 更に、「城」「星」「王子様」「光差す庭」というサブキーワードがある。これは一見、「永遠」に属するように見えるが、後半に行くに従って「世界の果て」側に属していく。つまり、これらは「かりそめの永遠」だ。城は幻であり、星は投影された影であり、王子様は最初から死んでおり、光射す庭はもう無い。

 だから、本作の登場人物たちは、何らかの意味で「永遠」を失った人々だ。彼らは「永遠」を失ったが故に「永遠」を求めている。そのため、「永遠」を約束する学園のシステムに進んで従い、そして縛られているのだ。(本作では、現実主義者に見える者ほどロマンチストであり、ロマンチストに見える者ほど現実主義者な傾向がある。)

 TV版終盤では「世界の果て」との対立と、その結末が描かれた。一方、劇場版では「永遠」の喪失と「世界の果て」の支配と、そこからの脱出に描写を絞り、より内的なメッセージ性が高められている。これは、内的な解決をTV版で、外的な出来事を劇場版で描いた『新世紀エヴァンゲリオン』と対照的だ。
 以下では、僕と友人のゆるめのチャットログをベースに『アドゥレセンス黙示録』の見どころを話していく。

続きを読む

文フリ19にて「音響監督 鶴岡陽太さんの音響演出」に関する文章を発表します

 こんにちは、毎週の労働後に『SHIROBAKO』を視聴することを「夜勤」と呼んでいるヒグチです。

 来たる三連休の終わり、11/24(月祝)の文学フリマ(第19回)で頒布します冊子で、「アニメ音響演出」全般に関する文章を発表します。

 タイトルは「アニメにおけるサウンド/ボイス演出と、ベストテイクを降ろす技術 ~ヒットメーカー鶴岡陽太のコンセプト志向~」です。

 簡単に背景を説明する前に、場所・時間などの詳細を置きます。
 文章の最後に、新刊の表紙も載せています。

続きを読む

「今期の○○さんはどの作品に来てる?」で新作アニメをセレクトする

 こんばんは。10月から秋アニメ始まりますね。僕はまだ、月刊少女野崎くんが終わってしまうことが受け容れられないでいるんですけど。※最終回を観る勇気がない

 新しい番組が始まるとき、これからの三ヶ月、どれを追っていくかすごく迷うんですよね。
 僕はひとまず3話くらいまで観て決めるんだけど、自分が好きなスタッフさんが参加しているか、という部分にも目が行ってしまったりする。

 この記事では「このスタッフさんが参加されるなら、追いたいでしょ」となるスタッフさんを数人、挙げてみたい。

作詞:畑亜貴さん 作編曲:MONACAスタッフ

 畑亜貴さんと言えば、最近ではラブライブ!の全楽曲をはじめ、多くのアニメソングの作詞を手がける、超多作な作詞家だ。*1

*1:最近Twitterで、手がけてきたアニメ主題歌の99%は「曲先」(先に出来ている曲のメロディーに歌詞をつける)と興味深い発言

続きを読む

アニメ作画のキャラ芝居・日常芝居を楽しむ ~『アイカツ!』~

作画をゆるーく楽しむ

 前回の記事では、『アイカツ!』第89話「あこがれは永遠に」を題材に、脚本(会話劇の面白さ)について「ゆる見」をしてみた。

 アニメを「ゆる見」するというのはつまり、「この脚本は誰が書いた」「このカットは誰が描いた」という、いつものアニメファンの見方から少し離れて、「どこのどういう部分がこんなふうに良かった」という感想を、少しずつ具体的な言葉にしていくことだ。

<前回の記事>

 前回、「脚本」と「作画」は非常に語りにくいファクターだという話をした。なぜなら、脚本も作画も、完成品に対して複数人が手掛けていることが多いからだ。たとえば脚本は、監督たちスタッフを含めた複数回の脚本会議でブラッシュアップされたあと決定稿となるが、後続工程の絵コンテ・演出で修正・加筆されることも多い。

続きを読む

アニメの脚本を「ゆる見」する。『アイカツ!』89話

脚本と作画をゆるく楽しむ

アニメについて話していると、最も話題にしにくい2つの観点が「脚本」と「作画」だったりする。
この2つは明らかに重要な要素なのに、それがどんな風にすごいのかを話すための便利な言葉を、僕はあんまり持っていない。

今回は、その2つの要素、脚本と作画を「ゆる見」したい。
誰々が書いたから脚本がどう、誰々が描いたから作画がどう、という話ではなくて、どういうところが良かったという感想を、ゆるーい目線で話せないだろうかという話だ。
(僕が詳しくなくて、マニアックな話が出来ないということもあるけども。)

今回は、2年目も佳境の『アイカツ!』から、すごく感動した話数があったので、この記事では脚本を「ゆる見」したいと思う。

脚本1:マヤとユリカの会話

アイカツ!』89話「あこがれは永遠に」は、メインキャラの1人、藤堂ユリカにクローズアップするエピソードだ。
そもそも『アイカツ!』は、学園生活を送る個性的なアイドルたちが色々な「アイドルカツドウ」を続けていく、既に放映開始から2年が過ぎようという長寿シリーズ。中でも藤堂ユリカは自身を「吸血鬼ドラキュラの末裔」と名乗り、バンパイアキャラを売りにアイドル活動を続ける、ちょっと変わったアイドルだ。

これまでもユリカをフューチャーしたエピソードは幾つかあったが、印象的なのは、ユリカのスキャンダル回だ。吸血鬼キャラで通っているユリカも、普段は黒ぶちメガネの冴えない女の子。それを雑誌に書き立てられたことで、ユリカもかなり苦しんだことがある。(もちろん、このシリーズのことだから、あまりえぐい描写ではないのだけど。)

次から始める引用は、握手会で小さな女の子に「どうしたらユリカ様のように強くなれますか?」と真剣に訊かれたユリカが、とっさに答えてあげることができない、というシーンの直後から始まる。沈んでいるようなユリカに、ユリカと専属契約しているファッションブランドのデザイナーが、とつぜん声をかけてくる。

f:id:yoko-sen:20140831012629j:plain
(物思いにふけるユリカ)

続きを読む

『ラブライブ!』1期のストーリー構成分析(映画脚本の観点から)

※以下、同人誌に掲載した文章の再録の後半となります。後半は7000字で、前半で確認した三幕構成の要素を応用し、『ラブライブ!』1期のストーリー構成について分析します。
前半:30分でエッセンスを掴む! ストーリーの黄金率「三幕構成」 - あにめマブタ

<前半からの引き継ぎ資料>
*ストーリー構成のメソッド「ビートシート」
f:id:yoko-sen:20140809164237p:plain
*ビートシートをもとに描いた感情曲線の模式図
f:id:yoko-sen:20140809163806p:plain

【24 TVシリーズアニメ『ラブライブ!』の三幕構造

 最後に、三幕構造の分析を実践しよう。ここでは2013年に放映されたアイドルアニメ『ラブライブ!』のストーリー構造を、ビートシートおよび三幕構成に当てはめて分析する。分析の都合上、結末までのストーリーを割って話すことになってしまう。もし本作を未見のまま、この先を読んでしまうと、実際の視聴時の楽しみを削ぐことになってしまうことが予想される。申し訳ないが、気を付けてほしい。
 『ラブライブ!』は2013年1月より各局にて放映された、全13話(約3ヶ月=1クールで放映)から成る、TVシリーズアニメ作品である。本作は、9人の女子高生が、学校に所属するアイドル「スクールアイドル」として活躍することで、自身の通う高校の廃校を防ぐため奮闘する物語だ。本作ではほぼ全話を、シリーズ構成の花田十輝氏が担当した。(第10話では子安秀明氏との共同脚本。)また原案は存在するものの、アニメでの展開はほぼオリジナルであるため、脚本分析に適していると考える。
 本作はメリハリの利いた脚本と、逆に終盤の深刻な展開に「誰得シリアス」(「このシリアスな展開は誰が得するんだ。(もっとお気楽な展開を望んでいるのに。)」)という批判を少なからず受け、視聴者の反応は大きく二分されることとなった。結果的に一般的なヒット作の4~5倍の映像パッケージを売り上げる、2013年の大ヒット作品となった本作だが、今回の分析を通して、何が本作の視聴者の反発を招いたのか、そしてその人気の秘密とは何だったのか、いくらかのヒントを見つけることができるかもしれないと考える。

続きを読む

30分でエッセンスを掴む! ストーリーの黄金率「三幕構成」

※以下、同人誌に掲載した文章の再録の前半となります。前半は2万字弱あり、ストーリーをかたちづくる三幕構成の説明、その応用について述べます。

【0 ストーリーはどのように構成されるか】

 本稿では、物語・ストーリー・ドラマを僕らはどのように受容しているのかというメカニズムを追う。このメカニズムを追うことで、どのようなストーリーが、いや先んじて言ってしまえば、どのような構成をとったストーリーこそが、多くの観客の関心を惹きつけるのかを、明らかにする。
 これにあたって、僕はアニメ映像が好きなので、TVシリーズアニメ作品を、映画脚本の構成理論をもとに説明することにする。これによって、最近にストーリーに関して話題を取った作品『ラブライブ!』に関する分析を行うことができる。※追記:こちらは別記事で行います。
 なお、ここで行う分析は、いくつかの物語の類型のうちのひとつについてのものであり、あらゆる物語がその通りであるわけではない。しかし僕らが考えるよりずっと多くのエンタテインメント作品が、この構造を採用している。

【1 物語が観客に提供できる最大のものは、変化だ】

 なぜ人は物語(ストーリー)の優劣を判別できるのだろうか。
 もしシニカルな人なら、それは優劣ではなく食べ物の好みのように感覚的なものだ、と言うかもしれない。ただ僕らは、大抵のうまい料理人は何を作っても、下手な料理人よりも美味い料理を提供することを知っている。
 つまり僕ら観客は、物語が、最大公約数的な何かを与えてくれることを見越して、期待して、たとえば小説本を書店のレジに持って行ったり、もしくは1800円を映画館の受付に差し出すわけだ。
 最も重要なこと。僕らが物語に期待しているものは何か。それは観客自身の変化だ。
 順を追って話そう。そもそもフィクション、つくりものの世界で何が起ころうとも、僕ら観客には何の関係もない。世界中の人間が死に絶えようが、僕らはそのことで気に病む必要は無い。それはつくりもので、嘘の世界で起こった出来事だからだ。逆に、その世界で得た宝物や金銭も、実際に使うことができない。これも同じ理由だ。
 ではなぜ、そこで起こったことが僕らの実際の生活に何の影響も及ぼさないようなものを、僕らはいくらかの実際の金銭や時間を消費してまで視聴しようとするのか。その理由は、3つある。

【2 物語は観客に、瞬間的なおもしろみを提供する】

 第1に、ストーリーの中で起こっていること、それ自体の面白さ、おかしみである。一文のセリフだったり、数十秒で見せることのできるコントのようなものだ。だがそれは、ジェットコースターの面白さである。僕らはジェットコースターに乗っても、その体験をあとから何度も思い出して、感動を得ることはないだろう。それは瞬間的な楽しさに過ぎないからだ。ストーリーは、面白い出来事の断続的な集合ではなく、面白い出来事の因果関係によって、文脈づいたものとして形作られる必要がある。

続きを読む