大場ななが電動ドリルで作っていたものの正体。(『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』)
ここに来て、更に観客の裾野が更に広がりつつある本作だが、
この記事では『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』の
「大決起集会」での描写に絞って、大場ななの本作における役どころについて考えたい。*1
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【以降、ネタバレ】
棺桶と執行人
「ワイルドスクリーンバロック」は、大場ななの凶行で幕を開けた。
金ボタンを戦利品のように次々と召し上げていく大場ななに、
天堂真矢以外は殆ど、なすすべもない。
「わたしたち、もう死んでるよ」という大場ななの謎めいた宣告で、シーンは終わる。
シーンは99期生の「大決起集会」会場へ移る。
第101回聖翔祭のため、去年とは別の形にリメイクされた
「星摘みの塔」のセットが中庭に立ち上げられる。
作中作「スタァライト」が毎年別の演出で舞台になるように、
劇場版の「星摘みの塔」もまた、TVシリーズとは別の意味を持つ。
下膨れした「星摘みの塔」は、冒頭部分ほか、華恋とひかりのラストシーンでも登場するが、
その形状は、ポジションゼロを基準にすれば、さかさまにした棺桶である。*2
大場ななは、先だっての「皆殺しのレヴュー」などなかったかのように、
仲間と笑い合い、電動ドリルで「星摘みの塔」のセットを固定する。
「星摘みの塔」が棺桶なのであれば、電動ドリルで塔を完成させた大場ななは、
さながら棺桶屋だろうか。
大場ななはモノローグで「私もあの頃の役に戻る」と宣言する。
彼女は再演を続けるうち、舞台少女たちがキラめきを失って死んでいく未来を確信する。
くすぶるようにジリジリと腐るように死んでいくよりは、
かつてのTVシリーズ7話でやったように、
舞台少女たちをせめて見苦しくないかたちで、殺してあげようと決意するのである。
つまり大場ななの「あの頃の役」とは、舞台少女の処刑人だ。
シーンは突如として転換し、
重低音ゴリゴリの電子音楽をバックに、
99期生たちの死体を載せた走る棺桶、葬送列車が登場する。
彼女たちは一見、血色も良く、目にも光がある。
しかし、彼女たちは舞台少女としては、完膚なきまでに死んでいる。
「今はまだ」と、自分が今いる場所を「本番の舞台ではない」と思い始めたが最後、
どこにいても「本番の人生」を生きることは出来なくなるからである。
映画のパロディとして
映画『用心棒』や、その翻案である『荒野の用心棒』序盤には、
棺桶屋が忙しく仕事をしているシーンがある。
流れ者の主人公がやってきた、抗争に明け暮れる町では
棺桶を作って売る人間だけが景気が良い。
つまり、これから何人もが死ぬことが分かっているとき、
やはり棺桶屋は棺桶を作るものなのである。
(カンカンカン!)
チッ、また始めやがった!
隣の桶屋だよ、近頃この町で景気がいいのはこいつばっかりだ。
棺桶は毎日飛ぶように売れる。
『用心棒』(黒澤明、1961年) ※『荒野の用心棒』のほうが棺桶屋がわかりやすいんだけど、配信がなかった
本作にはたとえば『マッドマックス 怒りのデスロード』をはじめ、
色々な映画のパロディが仕込まれているという。
最初、大場ななが電動ドリルで
「星摘みの塔」をセッティングするというシーンに唐突さを感じた。
しかしこう考えてみると、
これからすぐに何人もの舞台少女が死んで棺桶が必要になるのである。
であれば、処刑人であり、かつ棺桶屋でもある大場ななは、
あの死体を運ぶ列車のシーンの直前で、
甲高い音を立てて棺桶に釘をねじり込んでいて然るべきなのかもしれない…。
本日は以上です。
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