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あにめマブタ

@yokolineのアニメ記事がアップロードされます

30分でエッセンスを掴む! ストーリーの黄金率「三幕構成」

※以下、同人誌に掲載した文章の再録の前半となります。前半は2万字弱あり、ストーリーをかたちづくる三幕構成の説明、その応用について述べます。

【0 ストーリーはどのように構成されるか】

 本稿では、物語・ストーリー・ドラマを僕らはどのように受容しているのかというメカニズムを追う。このメカニズムを追うことで、どのようなストーリーが、いや先んじて言ってしまえば、どのような構成をとったストーリーこそが、多くの観客の関心を惹きつけるのかを、明らかにする。
 これにあたって、僕はアニメ映像が好きなので、TVシリーズアニメ作品を、映画脚本の構成理論をもとに説明することにする。これによって、最近にストーリーに関して話題を取った作品『ラブライブ!』に関する分析を行うことができる。※追記:こちらは別記事で行います。
 なお、ここで行う分析は、いくつかの物語の類型のうちのひとつについてのものであり、あらゆる物語がその通りであるわけではない。しかし僕らが考えるよりずっと多くのエンタテインメント作品が、この構造を採用している。

【1 物語が観客に提供できる最大のものは、変化だ】

 なぜ人は物語(ストーリー)の優劣を判別できるのだろうか。
 もしシニカルな人なら、それは優劣ではなく食べ物の好みのように感覚的なものだ、と言うかもしれない。ただ僕らは、大抵のうまい料理人は何を作っても、下手な料理人よりも美味い料理を提供することを知っている。
 つまり僕ら観客は、物語が、最大公約数的な何かを与えてくれることを見越して、期待して、たとえば小説本を書店のレジに持って行ったり、もしくは1800円を映画館の受付に差し出すわけだ。
 最も重要なこと。僕らが物語に期待しているものは何か。それは観客自身の変化だ。
 順を追って話そう。そもそもフィクション、つくりものの世界で何が起ころうとも、僕ら観客には何の関係もない。世界中の人間が死に絶えようが、僕らはそのことで気に病む必要は無い。それはつくりもので、嘘の世界で起こった出来事だからだ。逆に、その世界で得た宝物や金銭も、実際に使うことができない。これも同じ理由だ。
 ではなぜ、そこで起こったことが僕らの実際の生活に何の影響も及ぼさないようなものを、僕らはいくらかの実際の金銭や時間を消費してまで視聴しようとするのか。その理由は、3つある。

【2 物語は観客に、瞬間的なおもしろみを提供する】

 第1に、ストーリーの中で起こっていること、それ自体の面白さ、おかしみである。一文のセリフだったり、数十秒で見せることのできるコントのようなものだ。だがそれは、ジェットコースターの面白さである。僕らはジェットコースターに乗っても、その体験をあとから何度も思い出して、感動を得ることはないだろう。それは瞬間的な楽しさに過ぎないからだ。ストーリーは、面白い出来事の断続的な集合ではなく、面白い出来事の因果関係によって、文脈づいたものとして形作られる必要がある。

【3 物語は観客に、葛藤を克服したことによる満足を提供する】

 第2に、自分が善と認める価値の代表者が勝利したという「満足」である。
 たとえばサッカーの国際試合で、自分の応援している国のチームが勝ったとする。嬉しい。だがそれは自分自身が本当に喜べるような勝利ではない。だがそのチームに自分の親友がいたらどうだろう。更に彼のこの試合が実際は引退試合であり、かつそれを君だけが知っているとしたらどうだろう。このように、僕らがそれにコミットするに足るような条件が足されていくにつれて、僕らはその勝利を、更に強く喜べるようになる。
 このように条件を組み合わせて、当の問題が重要なものとなるよう対立を仕組むことを「劇的」と呼び、そのように仕組まれた物語を「ドラマ」と呼ぶ。つまりその試合の対立軸を増やしたり、太くしたり、そのようにして試合に、その勝ち負けに対して賭けられる、ベットされる事物を増やしていくことだ。
 このことについてもう少し説明しよう。「スポーツは筋書きの無いドラマだ」と言うとき、僕らは「ドラマ」をどのように理解しているか。八百長でもしない限り、スポーツの試合展開がどうなるのかは誰も知らない。しかしホームランを打てば逆転勝利できるという状況で、そのバットの一振りは、他の場所でのプレイより大きい価値を持つ。なぜなら試合の勝敗そのものが、ピッチャーとバッターの局所的な駆け引きそのものに掛かってくるからである。ただ勿論その打席も、選手年鑑の成績から見れば、等価値の一打席に過ぎない。つまり「劇的」「ドラマ」とは、その試合のその打席に、チームの勝敗が集約されるというような、ある種の前提や文脈を共有した人間がコミットする、乗り出していく、因果関係において形作られた、対立(葛藤)のことなのである。
 (逆に、野球について話しているときに突然「その頃、イリオモテヤマネコが絶滅の危機を迎えていた」と言われても、ここで行われている勝負に影響がなければ、それはドラマにはならない。因果関係を形作らなければ、それはノイズやナンセンスとして扱われてしまう。)

ハリウッド脚本術―プロになるためのワークショップ101

ハリウッド脚本術―プロになるためのワークショップ101

 たとえばこのことを、『ハリウッド脚本術』のヒックスは「ドラマとは〈秩序を与えられた〉葛藤」だと説明する。ヒックスによれば、ドラマは単に、ほとんど意味に変わりがない日常の出来事を、時系列順に並べ立てたものでは決してない。ドラマとは、できごとの因果関係、原因と結果の構成を見せることで、人生の意味を考える拠りどころを与えてくれるものだという。そのために脚本家は、ストーリーに直接に影響する事件だけを選んで、それを配置する。なぜか。
 なぜならそれは、そのドラマが、諸々の因果関係の最終的な帰結として、関わる人間の生活に決定的な変化を起こすようなものとして、意図されているからである。これについては、人々が物語に期待する3番目の要素であるため、このあとでもう一度説明することにしよう。
 ここまで話してきた筋に沿って言えばドラマとは「とても重要な勝負ごと」である。その勝負は、必ずしも分かりやすいゲームや議論である必要はない。登場人物の行動を、その力の限りに妨げるようなモノや出来事であれば、それは明確な勝負ごととして描くことができる。
 もちろん、その勝負が観客にとって取るに足らないものだと思われたり、もしくは色々な出来事が起こっても、勝負にどのように影響してくるのかわからない場合、ストーリーは退屈なものになってしまうはずだ。それは因果関係を持たない、つまりドラマを構築しないからだ。

【4 物語は観客に、感情の大波と、おみやげを提供する】

 第3に、観客自身の変化である。これは物語という嘘が、観客に渡した「おみやげ」とも言える。実はこれが観客がフィクションを好んで摂取する、最も大きな動機だ。
 フィクションの中では、重要な争い事、葛藤に決着がつくことは、既に説明した。では、それは巨人が蟻の子を踏み潰すような、我々のあからさまな勝利であっても構わないのだろうか。もちろん、そうではない。なぜならそこには、観客自身が変化する余地がなく、その変化が必要とされないからだ。
 観客は、自分自身が入れ込んでいる登場人物が、物語の中で打ちのめされ、それを受けてより強く変化することによって、当初はまともに戦いすらできなかった相手を、コテンパンにのしてやることを望んでいる。なぜなら、それこそがさきほど述べたような、勝利の達成感・満足感を最大にするからである。
 そして、理由はもうひとつある。それは、物語から何かしらのものを得て、自分自身が変化したいという観客の欲望である。
 さきほど、物語の中からは何も、実際的なものを持ち帰ることはできないと言った。だが、持ち帰ることができるものがある。それは登場人物の経験する最大の困難を克服した、道筋そのものである。想像しうる限りの最も大きな困難を、観客は、観客自身がコミットする登場人物と共に、それを解決していく。
 ただしそれは物質的なものによる解決であってはならない。なぜなら、その解決の手段を観客は「ストーリーの中から持ち帰りたい」のである。だから、その変化は必ず、内的な変化でなければならない。たとえばそれは登場人物が最終的に獲得した大量の宝物による、外的な解決なのかもしれないが、それは内的な変化に裏打ちされているはずだ。だからこそ、しばしば物語の主人公は、物語の中で、金銭を惜しげも無く捨ててしまうのである。物語に登場する物質は、それは観客が持ち帰れないがゆえに、最も価値の低いものだからだ。
 その代わりに主人公はストーリーの中で、それよりはるかに価値のある教訓を手にし、不可逆な変化をする。その変化こそ、観客が最も手に入れたいと望むものだ。
 この変化は単なるハラハラドキドキではない。心を動かされる、深い感動、驚愕など、それまでとは同じには生きることが出来ないというほどの、つまり主人公が味わった心の変化だ。だからこそ、多くのエンタテインメントが、観客を主人公の心情へと深くコミットさせることで、主人公の変化をそのまま観客の変化・感動へと繋げるという方法をとるのである。

SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術

SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術

 『SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術』のブレイク・スナイダーは、主人公であることの条件に「設定された状況のなかで一番葛藤する」「感情が変化するのに一番時間がかかる」ことを挙げている。つまり主人公とは、作品のテーマに対する、最も強力な敵対者でもある。脚本家は、因果関係のある出来事を主人公に対して、最も効果的なやり方で体験させることで、主人公に変化を起こす。主人公は最も強い葛藤に飲み込まれなければ、変化することができない。なぜか。逆から考えれば、そのような頑固な主人公を設定しなければ、脚本家の意図に沿って出来事を配置したストーリーに、そしてそこから導き出される教訓に、観客に対する説得力を持たせることができないからだ。
 観客には、物語によって「変化したい・させられたい」「感動したい・させられたい」という強い欲望があることは重要だ。なぜなら、それは物語の構成が、観客の情動を大きく揺さぶるために、最適化させられている必要があるということを示すからだ。
 このために、物語はどのような構成をとる必要があるか。古くは古代ギリシャの時代から、物語の分析者たちはそこに注目してきた。そして20世紀に至って、古今東西の物語は比較・検討・類型化されて研究される。その成果は、実はそのまま脚本の効率化に利することになるのである。その成果については次の章で述べよう。

【5 観客に対して物語が応えるべきこと】

 ここまで説明してきたことをまとめよう。観客は物語に対して、3つの期待をする。まずは、出来事そのものの面白さによる満足である。これにより観客は、物語の中で起こっていることに対して満足感を得る。
 次に、起こった出来事の結果による満足である。これにより観客は、物語に中で起こった出来事の結果に対して満足感を得る。ここでより高い満足感を与えるには、それらの出来事は適切な因果関係によって結ばれていなければならない。
 最後に、出来事の因果関係における連続によって起きた、変化そのものである。観客の精神状態は、登場人物の心情の動きに深くコミットすることで、その動きをトレースし、変化させられる。それは登場人物の内的な変化、そして周囲の状況の外的な変化を通して起こり、そして最終的には、決定的な内的変化を通して、外的な作品世界は不可逆な変化をする。
 ただし、たとえば登場人物が大金持ちになったとか、素晴らしい恋人ができたなどは、あくまで結果である。登場人物がどのような教訓を得て、そしてどのような変化をしたことで、最大の困難は取り除かれたのか。そこまで内的な変化の変遷が、物語においてパッケージ化されることで、物語の中で起きた感動は、登場人物と観客の変化は、物語の外側にさえ持ち出せるほど、強靭なものになるのだ。
 さらにまとめて、この節を終わろう。観客はこう思っている。ジェットコースターのように楽しみたい、いい勝負をして勝ちたい、自分を変えさせられるほど感動したい。

【6 三幕構造とは】

 いくつものストーリー構築の手段があるだろう、それは自由だ。しかし先だって説明した、観客が物語をどのように期待して受容するのか、という部分を踏まえれば、自ずと物語の基本的な構造は、ある程度の制限を受けざるを得ない。

映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術

映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術

 古代ギリシャで、人類史上初めて物語の構造を分析した学者アリストテレスによって、三幕構成は発見された。物語は3つの大きなセクションに分節される。すなわち「始まり・中盤・結末」の三幕である。『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』のシド・フィールドはこれを「発端・中盤・結末」あるいは「状況設定・葛藤・解決」と説明する。前述のヒックスは「誘引・期待・満足」と言い換える。
 それ馬鹿馬鹿しいほど、当たり前のことに見えるかもしれない。「これから語ろうとすることを伝える。実際に語る。そして何を語ったかを伝える」ということだ。しかしこの構造はとても強靭で、そして応用がきく。

【7 三幕それぞれの役割】

 この構成は実は、前の節で説明した、観客のフィクション受容に際するメカニズムによって要請されるものである。
 第一幕の「始まり」「発端」「状況説明」「誘引」では、このストーリーを観客に最後まで聴かせるための種まきにあたる。舞台と登場人物がほぼ全て観客へ開陳され、これから何をするのかを明示的になる。ここから登場人物には何が起こり、そして何が解決されるべきなのか、それは一見、外的なもの、登場人物以外の物事による困難に見えるかもしれないが、それを解決するには、内的な、登場人物の内側にある課題を解決する必要があるだろう。更にはそれらの説明自体が魅力的であり、この物語が完全な結末を迎えるまで、観客をイスに押さえつけるに十分であることが求められる。観客はこのイスに座り続けるかどうかを、物語の序盤の、更にはじめの数分間で決めてしまうのだ。
 第二幕の「中盤」「葛藤」「期待」では、第一幕で起こった出来事を受けて、ストーリーが前へと動き出す。様々な面白い出来事が起こるが、それらは単に並べ立てたものではない。その物語が描こうとしている重要な変化の成功あるいは失敗に欠くことのできない繋がり、ハッキリした因果関係を持っている。(それがその時はわからないとしてもだ。)
 観客は第一幕を通して、登場人物に対して思い入れや関心を抱くに至った。彼らにはなんとか成功してもらいたいと思っている。しかしそれを達成するには、多くの困難が待ち構えているだろう。なぜか。それは既に話したように、そのような状況の上下動・変化の連続が無いと、最終的な結末に対して、観客は満足感を覚えないからである。
 第三幕の「結末」「解決」「満足」では、物語は第一幕で提示された外的あるいは内的あるいはその両方の課題を解決し、そして価値ある目標に達する。これにより、第一幕で示された状況は、登場人物の内的な変化によって、第三幕に至っては、決定的な変化を見せているはずである。なぜなら、登場人物たちは第二幕において起こった様々な課題を解決していくことで、その困難を切り抜ける方法を見つけたからだ。登場人物の活躍によって、彼らは敵対者に勝利し、世界は不可逆に変化し、書き換えられた。しかしそれは本質的には、登場人物たち自身が変わったからである。観客は、メインプロット・サブプロットの全てにはっきりとした決着がついたことに満足し、視聴を終える。
 この稿で扱っているのは、登場人物たちが最終的に勝利する物語(これもどこで終わらせるかの問題なのだが…)の構造であるが、この第三幕において、あらゆるプロットが結末を与えられるということには、全く変わりがない。例外は、その物語が続きを持つ場合であり、または、プロットに結末を付けないことで観客に与えられるような効果を、意図的に狙った場合である。いずれにせよ、プロットに結末を付けないという選択は、観客の満足感を削ぎ、飢餓感を煽る。それはトレードオフだ。
 また最も誤解しやすい部分は、第三幕は「エンディング」とは全く別のものであるということだ。エンディングとは、その物語のオープニングと対応し、物語の中で、登場人物や舞台がどのように変化したのかを、観客に伝えるための特別なショットあるいはシークエンスのことである。しかしながら第三幕とは、第二幕において葛藤が、あらゆる意味において根本的に解決されたことによって、それまで示されてきた、内的あるいは外的な葛藤が、全て余さず、どのような結末を迎えるのかどうかを順番に示していくための「過程」そのものである。
 

【8 幕と幕との間には、違う世界へのドアがある】

 第一幕から第三幕すなわち「発端・葛藤・結末」(ここからはこの3つの言葉で説明しよう)の3つのセクションが合わさって、物語はその全体を形作る。そして同時に、第X幕とは、その内部に、更に「発端・葛藤・結末」の三幕構造を内在させている、というのが、実は三幕構造というシステムの強靭さの源であり、そして一番のキモである。これは後述する。
 前述のシド・フィールドは、昔話や神話など古くから人々に語り継がれてきた物語が共通に持つ構造は、現代の物語にも応用することができることを示した。詳しくは省略するが、三幕構造における第一幕と第二幕の間、そして第二幕と第三幕との間には、違う世界との扉があるということだ。つまり登場人物たちは、第一幕で起こったきっかけによって、第二幕という別世界へ突入し、そして様々な困難を乗り越えて、第三幕すなわち元いた世界へ帰還するのである。
 このような認識をとったとき、第X膜同士の間には、何かイベントが不可欠になる。それはある世界から、また別のある世界へと飛び込む、もしくは帰ってくるための、重要なイベントだ。
 シド・フィールドは、第一幕と第二幕との間に存在する重要なイベントを、プロットポイントⅠと名付けた。そして同じように、第二幕と第三幕との間に存在するのは、プロットポイントⅡであるとした。プロットポイントⅠは、第二幕に向かわせるための分岐点・方向転換を行う場所であり、第一幕の最後に設定される。そしてプロットポイントⅡとは、第三幕へと向かわせるための分岐点・方向転換場所であり、第二幕の最後に設定される。この両方のプロットポイントにおいて、登場人物の葛藤は、それぞれの幕の中で、最高に達する。この葛藤・ストレスの中で登場人物は、次の幕へと歩みを進めていくことになる。
 

【9 葛藤・緊張・ストレスと、緩和・開放・カタルシス】

 補助的な説明をしておこう。外的な課題もしくは内的な課題は、それを解決しようとする登場人物との間に、葛藤を生じさせる。葛藤とは、対立のことだ。一方はそれをしたいが、もう一方はそれをさせたくない。この2つの意志が同じ事物に対して働いたとき、両者は自分の意志を押し通すために、闘わざるをえない。これを葛藤という。外的な課題においては、葛藤はおもに味方と敵との間に生じるだろう。また内的な課題においては、それはおもに、一人の登場人物の心情において、そうしたいと願う気持ちと、そうしたくないと願う気持ちとの間に生まれるはずだ。
 葛藤とはストレスである。登場人物の葛藤は、そのまま観客の葛藤とも同期する。であるならば、物語上の葛藤は、観客にストレスを与えることがわかる。一方、葛藤の開放をカタルシスと呼ぶ。葛藤とカタルシスの連続によって、ストーリーはテンションを増し、登場人物の心情=観客の心情を、より大きく揺さぶることができるようになる。これが物語と観客の関係性における、緊張と緩和の法則である。この緊張と緩和は、人間の生き物としての性質に寄り添っているため、タイミングが重要である。あまりに緊張させっぱなしであれば観客は疲れてしまうし、逆に緩め続ければ退屈であり、そのどちらにしても、観客の集中力は途切れ、登場人物の心情との同期は乱れてしまう。
 

【10 感情曲線】

 緊張と緩和を、更に説明しよう。緊張とは葛藤の高まりであり、登場人物と観客にストレスを与える。緩和とは逆に、葛藤の解決であり、カタルシスを生じ、緊張を開放させる。この連続によって生まれる心の動きは、感情曲線と呼ばれるグラフによって、模式的に表すことができる。シド・フィールドが提唱する、物語の展開とその時間配分にのっとって、図1を作成した。詳しく説明しよう。
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 シド・フィールドは、いくつかのプロットポイントを基点として、登場人物の欲求の達成を描くべきとし、またプロットポイントは物語全体に、十数個配置されるべきだとした。かなりアバウトな指定であるし、実際にこれらプロットポイントを使ってどのように観客の心情を上下させるのかについては、詳しく述べなかった。だがしかし、最低でもどこにプロットポイントを配置すべきについては、明確に述べてくれた。それがプロットポイントⅠおよびⅡであり、そしてミッドポイントである。シド・フィールドはミッドポイントすなわち物語のちょうど中間地点に、大きなプロットポイントすなわちミッドポイントを指定した。またこれらのプロットポイント全ては、登場人物の欲求と、そして障害との間の葛藤として描かれるべきだとした。図1は、葛藤によるストレスが感情を抑圧し、そして葛藤の解決によるカタルシスが感情を昂らせるという図式をもとに、感情の上下動を縦軸に、物語を視聴する観客にとっての時間的な進行を横軸に模式化したものである。
 (ミッドポイントが登場したところで、三幕構成と起承転結の関係について述べよう。三幕構成と言っても、実際のプロットの時間配分から考えれば、三幕構成は起承転結と表現した方がより正しいと思う。第一幕「発端」を1、第二幕「展開」を、ミッドポイント(ストーリー全体の折り返し地点にあたり、ストーリーの主眼をサイドプロットからメインプロットに切り替えるための重要な出来事が起こる)を境に2、3。第三幕「結末」を4としたとき、1~4の展開はそのまま起承転結に置き換えられる。しかし、構造として考える場合には、三幕に解体したほうが、より応用がきくと思っている。これは三幕構造の利点について述べる、数段落あとで詳しく話そう。)
 

【11 感情曲線は、トランポリンの上を跳ねるボールが描く】

 把握するための材料を更に提供したい。観客の感じる感情曲線は、トランポリンの上を弾むボールに喩えることができる。物語は、このトランポリンを緊張(両端に張り詰め)させ、または緩和(その張力を弱め)させることによって、上に乗っているボールを、より高く投げ上げる。そのボールの到達高度を時系列に沿って配置することで、感情曲線のグラフが描ける。このときトランポリンの張り詰め度合いを「テンション」、張り詰めて緊張させた状態を保たせるという意味の英語で表現することにしよう。またこのときボールはすなわち登場人物=観客の感情の上下動に等しいわけだ。
 たとえばボールが落ちてきたときにはタイミングよく緩和(テンションを弱め)させ、最低地点に達したところで緊張させることで、先だってのジャンプより、更に高いところへボールを運ぶことができる。タイミングよくボールを上下に跳ね上げ続けないと、ボールの上下動は止まってしまう。もし映画館であれば、居眠りしてしまう人もいるだろうし、それがテレビの連続ものだった場合は、来週の放映を、観客はきっと見てくれないだろう。
 

【12 三幕構造・プロットポイントの利点】

 シド・フィールドの三幕構造とプロットポイントによるストーリーの分析・構成には、2つの大きなポイントがある。1つ目は、ストーリーの展開を物語の内側で流れている時間ではなく、観客の、物語の外側で流れている時間によって分割・セクション化したことである。これにより、ストーリーの流れの上下動を、ストーリーの都合ではなく、観客の快・不快に沿うかたちで配置することで、観客の、より根源的な反応を引き出すことができる。それは神話や昔話といった「語り」ベースのストーリー構成から、その知見を引き出してきたことによる長所だと思う。
 2つ目は、先ほど述べた、三幕構造のフラクタルな構造である。すなわち、物語全体を貫く「発端・葛藤・結末」という三幕それぞれのセクションの内側には、更に「第一幕の発端、第一幕の葛藤、第一幕の結末」というような三幕構造が含まれるべきであるという認識だ。ストーリーの構築に興味のある方なら、各セクションにはそれぞれの起承転結を設けるべきというノウハウを聞いたことがあるかもしれない。しかし彼の説明は更にロジカルである。
 

【13 ストーリーラインのパラダイム

 シド・フィールドの説明によれば、ストーリーライン構築の全体像は次のようである。まず各幕は「それ自体で、ドラマ上のアクションのワンユニットとして完結」し、「それぞれに、状況設定、葛藤、解決という『ドラマとしての流れ』を持つ」。第一幕は、オープニングシーンから始まって、「第一幕のプロットポイントⅠを、そのユニットの結末」とする。第二幕は、「プロットポイントⅠから始まって、プロットポイントⅡで終わる」。第三幕は、「プロットポイントⅡから始まって、エンディングで終わる」。つまり彼はストーリーラインを、直前のプロットポイントをその発端として、次のプロットポイントをその結末とするような、一連の三幕として構想する。
 彼の教えるところを整理しよう。つまり第一幕とは、物語を知らない観客に対して、登場人物や舞台など、説明すべきことを説明するという意味で、他の幕とは全く違う役割を持つ。そして反対に第三幕は、それ以前で観客に対して提示したありとあらゆるプロットの結末に対しての、説明責任を持つという意味で、第三幕も他の幕とは全く違う、独自の役割を持っている。
 しかし第二幕はどうだろうか。彼の説明によれば、第二幕はそれ自体のうちに、複数のプロットポイントを持つという。つまり第二幕に含まれるそれぞれのプロットポイントも、その直後のプロットポイントとの間に、各々の三幕構造を内包しているのだ。そう考えてくると、第一幕および第三幕とは、物語を語るための一種のオーバーヘッド、つまり本来の役割を行うために必要な余剰の部分とみなせる。
 このオーバーヘッドを除いた物語の形はシンプルである。すなわち、起点となるプロットポイントから始まり、終点となるプロットポイントを繋ぐだけのユニット複数個、並んだかたちである。登場人物や舞台の紹介は、第一幕の時点で済ませてあるし、各ユニットのメインプロット「以外」については、第三幕の中で決着をつければよいのだ。これによって、メインプロットとサブプロットの区別は明確である。つまり「そのユニットについての」メインプロットとは、そのユニット内に結末を含むようなストーリーライン、すなわち因果関係の適切な連なりである。反対にサブプロットとは、そのユニット内に結末を、必ずしも含む必要のないストーリーラインのことだ。(お分かりだろうが、ユニット内で結末が与えられなかったサブプロットのことを「伏線」と呼ぶ。)
 勿論、サブプロットが第三幕に至っても未解決である場合は、必ず決着をつける必要があるのは既に説明した。しかし状況設定や各プロットの結末の回収は省略できるため、プロットポイントからプロットポイントへの移行は更にスムーズなものとなる。更には、より複雑なストーリーの状況を素早く示す(ショートカットする)ことができるし、その展開についても加速させることが可能だ。

【14 三幕構造の表れとしての各テクニック】

 この構造を踏まえると、次に説明する現象は、三幕構造というシステムのひとつの表れとして分析することができるだろう。
 まずは「引き」である。引きとは、ある分割されたセクション(1頁、1話)などの最後に、次が気になるような事件を起こすことで、次のセクションへの誘引を果たすような、物語上のテクニックのことだ。
 これはシド・フィールドが言うところのプロットポイントにあたる。プロットポイントは、直前のプロットポイントの結末であり、かつ直後のプロットポイントの発端であることは既に示した。つまり引きとは、そのセクションの結末であると同時に、次のセクションの発端として機能し、観客を次のセクションへと誘引する役割がある。テレビシリーズ作品で、直前の話数の最後のシーンが、次の話数の最初のシーンとして繰り返されるのを観たことがあるだろう。これは漫画の1話、1頁単位にも見つけることができる。
 「引き」の規模が大きくなったかたちをクリフハンガーと呼ぶ。同名の海外テレビドラマをその由来に持つ、このテクニックは、今では多くの海外ドラマが採用している。それは、あらゆるプロットが完結したあとで、それまでの満足感が吹き飛ぶような、驚くべき事件を起こして、そのまま放映が終わってしまうという方法だ。(たとえば犯人が逮捕されたことを喜ぶ捜査官が、最終話のラストシーンで、真犯人に刺されるなど。)これによって観客の満足感を削ぐ代わりに、次のシリーズを観てもらうための強い動機付けを行うことができる。これも規模は大きくなっているが、「引き」と同様、重要な事件つまりプロットポイントを、観客の視聴の最後に配置することで、次のストーリーラインへとスムーズに移行させるという考え方の延長線上で解釈することが可能である。もちろん、これは注意深くやらなければ、次のシリーズまでの長い間の緊張に疲れた観客は、視聴を取りやめてしまうだろう。しかし、やらないよりは良い、と考える人々は多いのだろう。

【15 シド・フィールドの理論まとめ】

 シド・フィールドの理論のポイントを整理しよう。
 まず物語を観客の感情の自然な動きに沿って四分割する。分割した部分の直前にプロットポイント(プロットポイントⅠ、ミッドポイント、プロットポイントⅡ)を配置し、これを境にストーリーを別の方向に向かわせる。プロットポイントは他の部分にも入れてよいが、最も重要なプロットポイントが最初の3つであることには変わりない。プロットポイント同士は登場人物の葛藤を軸に展開され、その速度と密度は上がっていく。セクションの最後で、そのセクションのメインプロットには決着がつかなければならない。以上である。

【16 ブレイク・スナイダーによるメソッド化】

 さて、シド・フィールドの理論を応用し、更に実用的なかたちに整えたのが前述のブレイク・スナイダーだ。スナイダーはまず、シドの理論で指示されているプロットポイントはあまりに少なすぎ、プロットポイント同士をどのように接続するべきかが明確でないという問題を指摘した。更に、自ら研究した他の映画作品に含まれるプロットポイントを類型化し、15のプロットポイント(彼はビートと呼ぶ)に整理した。この一種のストーリー構成・ストーリーデザインの1パターンについて述べたのが、のちにハリウッド脚本のストーリー構成を席巻することになる『SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術』である。

SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術

SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術

 この理論(ビート理論)はシドの理論に比べると、指示されるプロットポイントの数が激増しているため、自由度が少ない。しかしシドの理論のベースとなった物語分析(ウラジミール・プロップやジョセフ・キャンベルによる研究)を参照しているからか、シドの理論と相反しない上に、異常に完成度が高い。それゆえ多くの脚本家がこの理論をもとにハリウッド映画の脚本を執筆することとなる。だがあまりに支配的となったため、映画脚本を画一化しているとの批判も上がっていることは記憶に留めておく必要がある。
参照:
ハリウッド大作映画がどれも似てしまう原因となる台本作りの「公式」とは? - GIGAZINE
 スナイダーの理論は、シドの理論を更に推し進めた。彼は120分の映画に対して、何分経つとどのような展開が起こり、それは何分間続くというかたちで、展開とその持続時間を指定し、メソッド化したのだ。これは「ビートシート」と呼ばれる一覧表として示されており、これに従って展開を記述していくことで、ストーリーの盛り上げ方や各展開の配分を、あくまで「不適切ではない」形に調整してくれる。(勿論ここで重要なのは、この配分表に則ったストーリーのみが、ストーリーとして適切であるという意味ではないという点だ。そもそもシドとスナイダーが参照した物語分析は、専ら「英雄譚」に関する研究であり、つまり「ヒーローもの」の一種の定型のみを示しているに過ぎないからだ。とはいえ原理を知って、それに振り回されない限り、その有効さは見逃すことができない。)

【17 ブレイク・スナイダー・ビート・シート】

 さてここで示すのは勿論、スナイダーの作成した、15のビート(殆どがシド・フィールドの言うところのプロットポイント)とその配分を示したビートシートである。表1を見てほしい。
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大きい画像はこちら:https://twitter.com/yokoline/status/498032849555955712
ここには更に、シド・フィールドのプロットポイント理論が示す、配分表も対応させて載せている。名称こそ若干変わっているが、プロットポイント理論の配分がそのまま、ビートシートに引き継がれているのがよくわかると思う。またヒックス『ハリウッド脚本術』で示された、優れた脚本に含まれる10要素も、各ビートに対応する形で配置した。これは詳述しないが、ほぼ全てがビートに対応し、対応しないものは、プロットポイント理論の原理的な部分に回収できると考えている。
 ここで示したシド・フィールドのプロットポイントを、観客のテンションと感情の上下動に応じて、僕が独自にイメージしてグラフにしたのが、さきほど提示した図1の感情曲線となる。気を付けていただきたいのは、ここから提示する感情曲線については、たとえばアメリカの作家ヴォネガットがストーリーの説明に使った「シンデレラ曲線」や「フライターク・ピラミッド(モデル)」と呼ばれるものに似ているし、またのちに紹介するゲームソフト『風ノ旅ビト』の制作スタッフが提示した「感情カーブ」の図表を参考にしたものの、僕個人のイメージにおいて、グラフ化したものであることだ。今回挙げている3人の著作には、このグラフ化に関する記述は無い。

【18 プロットポイント理論の感情曲線】

 図1についてひと通り解説しよう。第一幕と第二幕の間、ミッドポイント、第二幕と第三幕の間に配置されたプロットポイントでは大きな事件が起こる。このとき観客にはストレスがかかり、ストーリーは緊張することになるが、葛藤の解決によりカーブは回復する。これを繰り返し、第三幕の半ばにおいて観客の感情は頂点に達する。エンディングが始まり、ゆるやかに昂ぶりは落ち着くというイメージだ。点が配置されていない部分にも葛藤は配置される。シド・フィールドの言うように、実際には十数個のプロットポイントが配置され、プロットポイント同士の間では、登場人物の葛藤を軸にした三幕構成において、各プロットが語られることになる。このグラフだけを見ても、実際にどのような映画が出来上がるのか、イメージしづらいと思う。この感覚が、スナイダーの批判の源流だ。

【19 ビートシートの感情曲線 第一幕】

 図1を更に詳細に展開したのが、スナイダーのビートシートであり、これを僕のイメージでグラフ化したのが図2となる。表1と見比べながら読んでほしい。
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 第一幕はグラフが忙しく上下動し、既にこの時点で三幕構造が現れる。つまり、オープニング・イメージで強烈に引きつけ、舞台をセットアップし、きっかけ(第一幕のミッドポイント)となる事件を境に悩みはじめ、第一幕の結末となる第一ターニングポイントという、登場人物と観客にとって最も負荷のかかる部分まで、テンションは緊張と緩和を繰り返しながら、全体的には張り詰めていく。ここでトランポリンとボールの喩えを持ち出せば、グラフが下降しているときは、落ちてきたボールを受け止めたトランポリンが、張り詰めの度合いを高め、エネルギーを蓄えている状態である。逆に上昇しているときは、投げ上げたボールを頭上に見ながら、その緊張をほぐして、落ちてきたボールを柔らかく受け止めるための準備をする部分だと理解できる。
 第一ターニングポイントを結末とする第一幕の中に、誘引・葛藤・結末という三幕構造が、三幕構造という名前が付いていないにしろ、明確に埋め込まれていることが確認できる。更にそれは、三幕構造の文脈を理解しなくとも、ビートシートに従うだけで、第一幕の中にも三幕構造を実現できることに注意しよう。これがビートシートの利点であり、そして分かりにくい部分でもある。
 更に分析すれば、第一幕も第二幕も、各々のターニングポイント=プロットポイントにおいて、感情的にはどん底の状態で終わることがわかる。なぜなら今観ているストーリーラインが、他のストーリーラインに入れ替わるときには、観客にもエネルギーが必要だからだ。スナイダーによれば、第一幕と第二幕では、メインプロットからサブプロットにストーリーラインが移り変わる。更にミッドポイントにおいては、サブプロットからメインプロットへとストーリーラインが入れ替わる。つまり別の話を始めるのだ。別の話を始めるときには、観客の飢餓感を誘い、次はどうなるのかという姿勢を取らせなければならない。次はどうなるのか知りたい、と思わせないで良い(絶対に思わせてはならない)のは、本当の結末だけだ。

【20 ビートシートの感情曲線 第二幕】

 第二幕からは、第一ターニングポイントを経て、メインプロットが姿を潜め、複数のサブプロットが入れ替わり立ち代わり、これも三幕構造をとりながら展開される。ここからミッドポイントまでは「お楽しみ」とスナイダーは呼んでおり、作品独自の面白さを徹底的にアピールすべきだとする。グラフには点が描かれていないが、これらサブプロットの三幕構造により、実際には、観客の感情は細かく上下動しながらも、大きな葛藤には出会わず、軽い調子で、ミッドポイントまで至る。ミッドポイントで起こった何らかの事件によって、第一ターニングポイントとは反対に、サブプロットが後景に姿を消し、メインプロットが前面に出現してくる。
 ミッドポイントと第二ターニングポイントは正反対の状態になるとスナイダーは言う。もしミッドポイントで絶好調であれば、第二ターニングポイントは絶不調である。ミッドポイントではほぼ全ての葛藤が解決し、観客は満足している。しかしここから第二ターニングポイントまでは、登場人物はあらゆる意味で、人生の辛苦を味わわされることになる。敵対者と、そして脚本家によってだ。
 第二ターニングポイントの直前に、登場人物は第一ターニングポイントの直前と同様、悩みのときを迎える。これを経て、登場人物は何らかの決断を下し、その勢いが第三幕への転換に際するエネルギーとなる。ここに至って、メインプロットとサブプロットはひとつになる。サブプロットで立ちはだかった葛藤を解決してきたことによって、メインプロットの最大の葛藤も、その積み重ねによって解決されるという仕組みである。すなわち、この部分に説得力が無いという場合は、サブプロットつまり第二幕前半の積み重ねに問題があったということだ。
 ミッドポイントから第二ターニングポイントまでは、登場人物にとっても、そして観客にとっても、物語全体で最も負荷のかかるセクションとなる。最も高い場所から落ちてきたボールは、最低点まで一気に飛び込み、それまでで最も強い緊張と張り詰めによって、第三幕半ばに設置された最高到達点まで、一気に突き上げられる。この最大の上下動によるストレス・葛藤→カタルシス・開放こそ、観客が要請してくる変化・感動への欲求に対して、最も素直に応えたかたちのひとつだ。
 これは、それまでの上下動が溜めてきたエネルギーを利用したものであるため、自然と、物語の最後に置かれることになる。つまり、物語が一本の映画でない場合は、必ずしも物語全体の分量の四分の三で起こる必要は無い。なぜなら、最大の葛藤が解決されてしまう以上、それ以降に困難を解決してみせる必要は薄れてしまう。それは、メインディッシュのあとに、前菜をサーブしてしまうようなものだ。
 

【21 ビートシートの感情曲線 第三幕】

 第三幕に与えられた役割は、一つきりであることは既に話した。最大の葛藤が解決された今、あらゆる問題は、解かれるのを待っている状態にある。メインプロットは勿論、そのセクションでは解決されなかったままのサブプロット、それより更に小さい因果関係(小ネタのようなものだ)に至るまで、あらゆる因果関係の鎖の端っこに、結果という名前の終末端を取り付けていくことだ。これを怠ると、観客は「あれはどうなったのだろう」「彼は死んだのか、生きているのか」といった、作り手にとっては瑣末な出来事に過ぎないかもしれないことに心を奪われ、物語全体にさえ、満足することが出来なくなってしまう。
 たとえば僕らが昔話の語り手だったとして、途中で思わせぶりに登場したキャラクターが、最終的に何も言及されずに終わるような物語を、自分のレパートリーに持っているとしよう。子供たちに語り聞かせるたびに「彼はどうしたのか」と訊かれ、自分でも分からないのだから「さあ、どうしたんだろうね」とお茶を濁す。これを繰り返すうちに、僕らはきっと、彼の登場シーンそのものを削除して、語り聞かせてしまうことだろう。そのような尻切れの因果関係の鎖は、観客の満足度を大きく下げてしまうことを知っているからだ。

【21 ビートシート解説 はじめとおわり】

 第一幕の最初と、第三幕の最後には、ブックエンドのように、オープニング・イメージとファイナル・イメージが配置される。これは、この物語で登場人物が得た教訓と、そして勇気ある行動によって、どのように世界が変わったのかを示すための、一対の絵のようなものだ。この変化は勿論、外側から見える、外的な結果として現れるだろう。しかしそれは、第二ターニングポイントを経て決定的に変わった内的な状態の表れであることを、忘れてはならない。

【22 『風ノ旅ビト』の感情曲線】

 この理論と感情曲線を使って作られた物語作品として、thatgamecompanyによるコンピューターゲーム風ノ旅ビト(Journey)を挙げよう。GDC2013(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)のジェノヴァ・チェン氏による講演では、本作がシド・フィールドやブレイク・スナイダーらも参照した、アリストテレスやジョセフ・キャンベルの研究をもとに、感情曲線による観客の感情のコントロールを試みたことが説明された。彼が使っている用語はシド・フィールドの理論と同様だ。もしかしたら、彼やスナイダーの理論にも、目を通したかもしれない。
参照と引用:
http://www.famitsu.com/news/201303/31031192.html『風ノ旅ビト』誕生秘話――人の感情を動かすゲームが生まれるまで【GDC2013】 - ファミ通.com
GDC 2013: Designing Journey - AdventureGamers.com
 彼らの行った方法を簡単にまとめよう。彼らはまず三幕構造における感情の起伏をグラフ化した。これが画像Aである。
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これをもとに、感情の起伏と同期するように物語の起伏、そして付随するサブストーリーを設定した。これが画像Bである。(画像は細かい部分にネタバレあります。)
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開発が1年経ったころ、基本となる形はできたものの、想定していたより、テストプレイヤーの感情の起伏が小さいことがわかった。開発が2年経ったころには、感情の起伏はかなり想定のかたちに近付いてはいたものの、ここでの言葉で言う、第二ターニングポイントからの感情の盛り上がりが、ミッドポイントで得た感情の盛り上がりより、数段低いものに留まっていたという。この状態から完成に至るまで、なんと更に1年がかかっている。彼らが実行したのは、演出の調整だけだ。プレイヤーの行動にかかる時間を調整し、ルート制限を再考した。発売後、このゲームはその年のあらゆる賞を総ナメにしてしまった。(本作はぜひプレイして欲しい。素晴らしいゲームだ。)
 『風ノ旅ビト』では、三幕構成をゲームのストーリーテリングに応用し、その結果と教訓を教えてくれるだろう。つまり制作者が予定している感情曲線と、観客が実際に感じる感情曲線には、かなりの相違があるということだ。そういう意味では、トライアンドエラーが比較的容易なゲーム作品で、三幕構造の長所が発揮されたことは大きい。
(ゲームの三幕構成についての話題:【GDC 2014】ハリウッド式三幕構成に死を! ゲームストーリー作りの最新事情 - GAME Watch

【23 三幕構造の振る舞いのまとめ】

 さて、ここまで三幕構造の原理と振る舞いについて考えてきた。最後にもう一度、ポイントを整理しよう。
 三幕構造は誘引・葛藤・結末から成る。物語全体の最初には、舞台や登場人物の紹介を行って、観客を惹きつける必要がある。なぜなら、それ以降の物語に、深くコミットしてもらうことで、結末の満足度を引き上げるためだ。そして物語全体の最後には、あらゆるプロットに決着をつける必要がある。なぜなら、結末における感情の盛り上がりに水を差されるのを防ぎ、更には、些細なことのせいで観客の満足度を下げることのないようにである。
 その2つに挟まれたセクションには、三幕構造を持つプロットを配置し、プロットの積み重ねによって観客の感情の起伏をどんどん盛り上げていく。感情の盛り上がりの最高点をマークしたあとは、最後のプロットポイントに向かって登場人物と観客に負荷をかけ、一度はどん底まで持っていく。このフラストレーションを登場人物のアクションによって一気に開放し、全てのプロットに結末をつけることで、感情の起伏を物語全体の最高到達点まで押し上げる。
 さらに、オープニングとエンディングとの比較において、登場人物が成し遂げた外的な、そしてそれ以上に内的な世界の変化を一目瞭然のかたちで描き出し、物語をパッケージングする。この原因と結果を、第二ターニングポイントで得た教訓によって接合させることで、物語は観客におみやげを与えることができる。登場人物が持ち帰れたのは、実はその教訓だけなのだ。そしてこれだけが、観客が家に持ち帰れる全てである。そしてこのとき初めて、物語は単なる嘘の話から離脱し、観客自身の体験した旅の想い出として、しっかりと息づくことができるのだ。

<『ラブライブ!』シリーズ構成を扱う後半へ続く>

※以上の文章は、2013年11月4日に発行しました『多重要塞』Vol.1収録の「視聴者の張り詰めの維持と開放~誰得シリアス論~」の前半部分です。
当時の告知記事:【告知】「映画脚本のノウハウと『ラブライブ!』ストーリー構成の比較」を文学フリマで発表します - あにめマブタ