あにめマブタ

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アニメの脚本を「ゆる見」する。『アイカツ!』89話

脚本と作画をゆるく楽しむ

アニメについて話していると、最も話題にしにくい2つの観点が「脚本」と「作画」だったりする。
この2つは明らかに重要な要素なのに、それがどんな風にすごいのかを話すための便利な言葉を、僕はあんまり持っていない。

今回は、その2つの要素、脚本と作画を「ゆる見」したい。
誰々が書いたから脚本がどう、誰々が描いたから作画がどう、という話ではなくて、どういうところが良かったという感想を、ゆるーい目線で話せないだろうかという話だ。
(僕が詳しくなくて、マニアックな話が出来ないということもあるけども。)

今回は、2年目も佳境の『アイカツ!』から、すごく感動した話数があったので、この記事では脚本を「ゆる見」したいと思う。

脚本1:マヤとユリカの会話

アイカツ!』89話「あこがれは永遠に」は、メインキャラの1人、藤堂ユリカにクローズアップするエピソードだ。
そもそも『アイカツ!』は、学園生活を送る個性的なアイドルたちが色々な「アイドルカツドウ」を続けていく、既に放映開始から2年が過ぎようという長寿シリーズ。中でも藤堂ユリカは自身を「吸血鬼ドラキュラの末裔」と名乗り、バンパイアキャラを売りにアイドル活動を続ける、ちょっと変わったアイドルだ。

これまでもユリカをフューチャーしたエピソードは幾つかあったが、印象的なのは、ユリカのスキャンダル回だ。吸血鬼キャラで通っているユリカも、普段は黒ぶちメガネの冴えない女の子。それを雑誌に書き立てられたことで、ユリカもかなり苦しんだことがある。(もちろん、このシリーズのことだから、あまりえぐい描写ではないのだけど。)

次から始める引用は、握手会で小さな女の子に「どうしたらユリカ様のように強くなれますか?」と真剣に訊かれたユリカが、とっさに答えてあげることができない、というシーンの直後から始まる。沈んでいるようなユリカに、ユリカと専属契約しているファッションブランドのデザイナーが、とつぜん声をかけてくる。

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(物思いにふけるユリカ)
①「ファンに何を言われたか知らないけど……」

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(驚いて声の方を向くユリカ)

②「僕なんて、夢小路マヤはコウモリを丸呑みにしている、とか、魔法でドレスをデザインしてるとか、色々言われてるんだよ……? ひどいでしょう?」(隣に腰掛けながら)
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③「ふふふ!」(おかしそうに)
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④「ん?」(あれ、間違えたかな? という顔)
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⑤ユリカ「……ファンの女の子に、どうしたら私みたいに強くなれるのかって訊かれて、わたし、すぐには答えられなくて……考えてたんです」(うつむきつつ、確認するように)
マヤ「ファンはユリカ様を、無敵のバンパイアだと思ってる……それでいい」(安心させるように)
ユリカ「藤堂ユリカが今あるのは、マヤさんがロリゴシックのドレスを託してくれたから」
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脚本2:この会話で起こっていること

デザイナーのマヤとユリカの付合いは2年にもなる。デザインの仕事以外はあまり得意でないマヤを手伝って、スタッフとのやり取りもこなすユリカに、マヤが助けられることも多い。(ココらへん、前後のシーンからわかる。)
会話の流れを順番に見ていこう。

①で声をかけてきたマヤにユリカが驚くのは、マヤがプライベートなことがらに立ち入って来ることがあまり無いからだ。明らかにマヤは、ユリカの様子がおかしいのを気にかけて、ユリカにさりげなく声をかける。

②で、マヤは自分が噂されていることをおかしい調子で喋り、ユリカを慰めようとする。ユリカが握手会をしてきたことは知っているマヤは、ユリカがファンから何か、きつい言葉をかけられて落ち込んでいるのでは、と考えたのだ。

③でユリカは明るく吹き出す。いつもは立ち入った話し方をしないマヤが、慣れない笑い話で自分を慰めようとしてくれたことに思い至ったユリカはそれがおかしくて、つい笑ってしまう。

④でマヤは、ユリカの落ち込んではいないように思われる様子に、どうやら自分は早とちりしてしまったんではないかと気付く。

⑤でユリカは少し真面目な調子で、握手会であったことを語り始める。マヤの不器用な優しさへの好感と、心配させてしまった気負いから、そして何よりマヤへの信頼から、ユリカはマヤに相談を始める。

脚本3:どちらかが知っていて、どちらかが知っていないこと

この2人の会話の流れが面白いのは、2人が持っている情報が、偏っているからだ。
マヤは、ユリカが考えこんでいるのが、何かひどいことを言われたわけではない、ということを知らない。対してユリカは、自分が考え込んでいる様子が、マヤに心配をさせるほどだったということを知らない。
そして人には、思いがけないことを知ったとき、フッと出てしまう動作がある。それがユリカの吹き出すような笑いであり、いつもはいかめしい顔つきのマヤの驚いたような表情だ。
そういう緊張感(プレッシャーのようなものではなく、会話の押し引きのようなものだ)がほぐれたとき、少し真面目な話題を自然に話しだしてしまうという会話の進み方は、とてもナチュラルだ。

まず、この一連の流れには、小さいけれども知らなかったことがわかるという、プリミティブな楽しさがある。そしてそれをアクション、セリフを使わない芝居の中で、キャラクターの心の動きがどのように変化したかということを観察する面白さがある。
そして何より、観客はこの会話を見ることで、マヤのユリカの信頼関係や、生真面目な交流がどのようなものなのかを、深く知ることになる。

脚本の会話は小説と違い、引き算の会話であると、脚本家の小林雄次さんは言っている。個々の会話に圧縮された情報は、キャラクターの性格・考え方を、とても長い文章以上に、明確に伝えることがあると思う。

脚本4:まとめ

キャラクターが知っていることと、観客が知っていることは違う。多くの場合は、観客だけが知っている情報が多いのだが、ときどき、キャラクターしかその情報を知らないという状況も起こりえる。また、同時に登場している複数のキャラクターの間にも、そのような情報の不均衡が起こることがある。
そういうとき、観客が知っている情報と、キャラクターたちが知っている情報の差分から、キャラクターの思想や、行動の癖などを、効率的に伝える方法が、脚本にはあるようだ。
それはたとえば、上で見てきたようなものなのかもしれないと思う。今回はそういう脚本の技術とか、セリフ・アクションに含まれる情報量の多さみたいなものがすごいなぁと思ったので、この記事を書きました。

本日は以上です。次の記事では、同じく89話を題材に、作画を「ゆる見」してみます。