あにめマブタ

@yokolineのアニメ記事がアップロードされます

『琴浦さん』太田雅彦監督の1クールアニメ構成法

《『琴浦さん』1話、好評です》

今、『琴浦さん』第1話「琴浦さんと真鍋くん」が話題である。

http://www.nicovideo.jp/watch/1357701227

(↑ 第1話はニコニコ動画にて無料配信中です!)

 

ニコニコ動画での配信開始からたった3日で30万再生を突破、

(2012/1/20追記:2話配信までに61万再生)

Twitterでの評判も上々だ。

その理由の一端は、一種奇抜とも思える第1話の構成にあると思われる。

未見の方はここでぜひ観ていただきたいが、

第一話、実はキービジュアル(↓)から一見して想像するのとは

かなり違うタイプの映像に仕上がってきていると思う。

http://www.kotourasan.com/

 

ここでは、今回独特な構成を選択した

琴浦さん』の太田雅彦監督作品と発言から、

太田監督の1クールアニメ(約12話≒約3ヶ月間放映されるアニメ)

の構成法について検証する。

 

《『ゆるゆり』での太田監督の話数構成と、そのチャレンジ》 

WARNING:途中、『ゆるゆり』1期の構成について、

 抽象的に言及する箇所があります)

 

太田監督は過去、

ゆるゆり』(1期)『ゆるゆり♪♪』(2期)でも

1クールの中で、話数に独特な役割を与えている。

全12話の中でも1話と11話、

特に11話に、キャラクター・視聴者のエモーショナルな盛り上がりの最高点を

配置することで、視聴者の意表を突く構成ながら、ファンの好評をとった。

 

TVアニメゆるゆり公式ファンブック

TVアニメゆるゆり公式ファンブック

太田監督は上記のインタビューのなかで、

ゆるゆり』(1期)のそんな構成について次のように述べている。

( 抜粋内の()←内は要約、~←は省略、改行は引用者。)

 

ーー本作をアニメ化するにあたって苦労された点はどういった部分でしょうか

作品の構成上1クールの12本しかないので、

(あかりの微妙な)キャラ付けをどこでどう認識させるかというのがネックでした。

2クールで24本あるような作品であれば、

~という手も打てるのですが、~という問題点があったんです。

だから強引だと思いつつも、~を1話で一気に見せてしまって、

2話からあかりのキャラクター性を楽しめるようにしました。

強引な手を打ったので、心配でしたね。

ちょっと視聴者には乱暴だったかもしれないな、と。

でもそれは重々分かっていたうえでの構成でした。

 上記では特に12話に制限された中での第1話の構成について述べている。

すこしズラせば、『琴浦さん』の第1話に対する

監督の解説としても読めるかもしれない。

2クールアニメであればこのようにはしないだろう、

という含みも重要だ。 

 

次に、第11話に関する発言。

(少し長いですが、なるべく誤解のないようにしました)

ーーそんな「ほっこりする」ものとは対照的に11話はシリアスな展開となりました。

この話は原作では、どちらかと言えばギャグ寄りの話になっているんですよね。

12話が実際の最終回ではあるんですけど、

自分的には、この11話が最終回のつもりでやっています。

それで原作よりも少しシリアスな方向へ流させてもらったんです。

シナリオの段階だと、あの後~という原作通りの部分が残ってはいたんですけど、

自分がコンテを描いている段階で「それまで泣かそうとしていたものが

木っ端微塵に吹き飛んでしまう可能性が高い」と感じたんです。

原作どおりの展開が見たい方もいたとは思うのですが、

あえて~っていうシリアスな展開のまま、

あかりがやってくる最終シーンの形にさせてもらったんです。

~ 

ーー原作ファンもいい意味で裏切られたと思います。

そうだったら嬉しいです。こちらサイドは賭けに出たんですよ。

シナリオを書いたあおしまさんからも、

「どうせ、僕がファンに叩かれるんですよ」と、

後ろ向きなメールが届きましたからね(笑)

僕もあおしまさんもそうですけど、こういった原作を変える話を作るのは

何時も清水の舞台から飛び降りる覚悟なんですよ。

その後に「きっと下の柵に刺さるんだろうな」みたいな(笑)

だからこそ、チャレンジしたい部分でもあったんです。

あおしまさんから不安の声が綴られたメールが来た時には僕も不安になりましたが、

実際に出来上がった映像を観ると最後のシーンに手ごたえを感じたんです。

絵コンテを描いた自分が手ごたえを感じるのであれば、

見ている視聴者のみなさんにも何かしら届くはずだと……。

「きっと分かってくれる人はいるはずだ」という思いで放送をしました。

ここでは「賭け」という言葉が出ている。

実質的な最終回を、名目上の最終回のひとつ手前に設定したこと、

そしてそれを演出するために原作からの改変をコンテ段階で行ったことは、

太田監督にとって大きなチャレンジだった。

 

実はこの趣向、脚本会議で決まったことであると

あおしまたかしシリーズ構成のインタビューからわかるのだが、

それを読む限りでは、この流れを先導したのは太田監督だ。

またそれは、上記のあおしま氏のメールの文面からも伺える。

(アバンのあかりによるタイトルコールの展開が毎話変わるという趣向も、

監督の提案であったことが、あおしま氏によって明かされている。)

 

いずれにせよ、メインスタッフがリスクとストレスを払ったうえでの、

構成であり、改変であったことは重要だ。

とはいえ、なぜ太田監督はこのように奇抜な、

あえて言うなら、リスキーな話数構成をとるのだろうか。

 

《1クール12話という制限が制作者に強いるもの》 

T Vアニメ全体における1クールアニメの割合はかなり大きい。

2012年7~9月に放映が開始されたTVシリーズアニメ30本のうち、

23本、優に75%超が1クールアニメである。

(本数は以下wikipedia記事を参照しました)

 日本のテレビアニメ作品一覧 (2010年代 前半)

 

そんななか、限られた話数でどのように視聴者を惹きつけるか、という問題は

アニメ制作者のなかでも焦眉の課題となっている。

たとえば『魔法少女まどか☆マギカ』のシリーズ構成である

虚淵玄氏は、ベテラン脚本家の黒田洋介氏から、

次のようなノウハウを伝授されたと語る。

 

「 シナリオライター・虚淵玄が明かす『まどか☆マギカ』ストーリーの発想法」

http://news.nicovideo.jp/watch/nw189629

「1話でインパクトを与えて途方に暮れさせ、

2話では(作品の)世界観とストーリーの方向性を説明する。

そして3話では、それまでに説明したこと以外のことも起こり得る

というサプライズを起こす」

 これもやはり、全12本前後という1クールアニメの話数制限に対するかたちで、

シナリオライターや監督が編み出した方法論である。

 

対して太田雅彦監督も、

1クールという制限が制作側に強いるものと、その対抗策について、

以下のように語っている。

(引用元はさきほどと同じ)

ーー大隈副監督との仕事は監督にとってやりやすいものだったのでしょうか?

もちろんです。今回は限られたスケジュールの中で円滑に制作を進めていくために、

ライター陣、美術の鈴木(俊輔)さん、音楽の三澤(康広)さん、

音響監督のえびな(やすのり)さんら、

ずっと一緒にやらせてもらっているスタッフと制作しました。

新しいスタッフが入ってくると「この方はどういう仕事をするのか」と

探りの時間がどうしてもかかるんですよね。

その時間が1クールというスケジュールでは致命傷になりかねないので、

仕事を請ける段階でスタッフを継続させていただきたい旨を伝えているんです。

ーーまさにチームワークが命の作品だったのですね。

チームワークは大事ですよ。

各スタッフさんそれぞれ「自分のいい部分」が出せるようにする環境を作れば

いいフィルムにつながっていくんですよ。

でも、バランスが崩れると全体が倒れてしまうし、

立て直すことが出来ないんです。

4クールで1年スパンの作品なら、

1回倒れても立て直せる可能性もあるのですけど、

1クールで大きい問題がおきてしまうとゴチャゴチャになるんですよ。

そんな状態だと、いくら出来のいいシナリオがあっても作品は

ダメになるものなんです。

それはフィルムにも出るし、視聴者の方もそれを感じてしまうんですよ。

現場環境を円滑にする管理も監督の仕事なんです。 

太田監督は仕事を請ける前に、各々のパフォーマンスと癖を知っている

メンバーを引き続き率いて制作にあたることの了承をとっているという。

監督によれば『ゆるゆり』は

それまで関わりのなかった動画工房からの突然の依頼であったということなので、

やはり同じように動画工房(および製作委員会であろう)と折衝したはずだ。

 

このような特殊な制作体制をとる理由だが、上記で語られたとおり

1クール作品というスケジュール制限があるからだ。

監督自身にも苦い経験があるのだろうか、リスクへの対策は抜かりない。

 

しかし逆に考えれば、これは「攻め」の布陣でもある。

太田監督が短い1クールアニメで視聴者を引き込むため、

シナリオにこだわっていることは

「いくら出来のいいシナリオがあっても作品はダメになる」

といった発言からも読み取れる。

しかし良いシナリオも、堅牢な制作体制あってこそなのだ、とも

太田監督は語ってくれている。

 

あおしまシリーズ構成のインタビューでも述べられているが、

1クール全体の構成を決める脚本会議は、

制作のかなり初期の段階で行われる。もしそこに至っても、

監督の言う「探りの時間」の段階に留まっているのであれば、

ゆるゆり』で行ったような

「清水の舞台から飛び降りる」ようなチャレンジは難しかったろう。

また翻って『琴浦さん』1話のような

変則的な構成にすることも、同じくできなかったかもしれない。

 

もし出来たとしても、初期段階で気心の知れていないメインスタッフとの軋轢が

生まれてしまった場合、それが1クールでの「大きな問題」への

最初のドミノピースになってしまう可能性がある、

ということは、僕らにとってもある程度想像できる範疇のことだ。

 

ここで補足になるが、1クールという時間的制限は、

作品監督以外のスタッフにも足かせの一つとなっているという。

たとえば音響監督の鶴岡陽太氏は

一橋大学での講演会「アニメに命を吹き込むこと」(2012/11/04)の中で

現在の新人声優の置かれている状況について、次のように述べている。

4クールくらいのアニメなら、6話までは(演技の)試行錯誤が許された。

しかし今の1クールなら6話は折り返しにあたる。それは許されない。 

制作スタッフにとって1クールアニメとは

僕らが思うよりもすっと大きな制限なのだ。

 

《まとめ:1クールのシナリオを「慎重に、攻める」太田監督》

1クールという短いスケジュールのなかで、

アニメ制作は非常にピーキーなものになっていることが

太田監督の発言からわかってきた。

 

監督は、何十と枠のひしめくTVシリーズ1クールアニメの中でも、

『みつどもえ』シリーズ、『ゆるゆり』シリーズ、そして今期『琴浦さん』など

「変則的なシナリオ構成」で冒険し、独自のカラーを打ち出してきている。

もちろんそのためにメインスタッフは、企画のスタートアップ時に

多大なリソースを割かなければならないが、 

太田監督は制作体制を手堅くマネジメントすることで、

シナリオを「慎重に、かつ攻めて」構成していくことができるのだ。

 

さて今回はシナリオ構成を追うことで、

はからずも監督の仕事を追うことになった。

琴浦さん』はまだ放映が始まったばかりだが、

公式Twitterの発言から推測する限り、

まだまだシナリオ上に仕掛けを残しているという。

 

この1クールアニメをどのように「攻めて」いくのか、

太田監督の采配に今後も注目、注目である。

押井守監督のプレゼンと製作委員会

押井守監督作品『スカイ・クロラ』のディスクには

押井監督が製作委員会のメンバーに対して

どのように自分の撮りたい作品をプレゼンしていったかが、

部分的な映像記録として残っていました。

スカイ・クロラ (通常版) [Blu-ray]

スカイ・クロラ (通常版) [Blu-ray]

 

押井監督独特の低い早口で、しかし淀みのない言葉は力強く、

「この映画は絶対すごいものになるぞ…!」とさえ思わせます。

おそらく監督は過去の作品でも、このようにして

スポンサーたちからGOサインを勝ち取ってきたのだと思います。

以下、抜粋です。

 

<生死>

かつては"死"を実感できる人間だけが

大人と呼ばれた

それは生きることの

リアリティのことなんですよね

生きることの内実を理解するということは

それだけ"死"に接するということなんですよ

"死"の可能性として…

いずれ死ぬからこそ"生"というものを

実感できるんだ

だからそのことがわからないヤツは

つまり子供でいる間は

本当に生きているとは言えない

生かされているんだ

(2007/2/2 第一回製作委員会にて)

 

<人生>

明日の可能性のために

今日を生きるのではなくて

今日一日を生きる情熱が

明日を呼び寄せる

あえて若い人に言うとすれば

目の前に 鼻を鳴らして

足にすがりついてくる子犬がいたとして

その子犬を抱き上げるか

抱き上げないかというね

それが新たな人生を制約することに

なるかもしれないけども

それを制約ととるのか

新しい出会いととるのか

自分自身の情熱をかける対象に出会った

そういう出会いだと捉えるのか

犬を抱き上げた瞬間から

自分の人生が始まる

それは男と女の出会いもそうであり

親と子の出会いもそうである

それが今回

僕がこの映画で伝えたいことのすべてです

(2007/11/16 第三回製作員会にて)

 

<映画>

映画というのは 僕が基本的に誰かと

語ることによって成立するんであって

観ることによって映画が完結するということは

正確じゃない

映画を作るという行為は

むしろ社会的な行為だった

作品を作るという表現者としての仕事は

そこで完結するわけじゃなくて

それは 世の中にどういう感じで受け止められて

どういう反応が起きてということ

すべてが映画の行為だったんです 

(2007/9/4 宣伝会議にて)

 

抜粋、以上。 

(なお、これらの発言があった「製作委員会」は

 合同出資している製作委員会メンバーが、

 作品のみならず、作品のあり方を包括的に協議するための、

 会議そのものを示しているようです。)

 

一方、アニメスタイル002の神山健治監督への

『009 RE:CYBORG』(サイボーグ009のリメイク映画)に関するインタビューでは、

押井監督の言葉が、製作委員会で

時に空回りすることもあったことがある程度詳しく記されています。

(そもそもサイボーグ009のリメイクは押井守監督作品となる予定でした)

アニメスタイル 002 (メディアパルムック)

アニメスタイル 002 (メディアパルムック)

 

また、古くは『ルパン三世』劇場版の企画でも、

スポンサーサイドとのすれ違いがあったことが本人から語られています。

幻の「押井守版・ルパン三世」(押井ルパン資料1)

「宮さんと残念会やりましたよ。寿司食って飲んだくれて。正直言って相当こたえた。
ダメージになった。そのときに、『やっぱりイケイケだけじゃものはできない、
戦略が必要だ』って感じた。人を巻き込むことの必要性とかも。
それから戦略家になった。どうやって自分の企画を通すかに関して、
ものすごく用意周到な人間になった。負ける勝負は絶対しなくなったし」

幻の押井ルパンは「虚構を盗む」はずだった(押井ルパン資料2)

 

宮崎駿監督には鈴木プロデューサーがおり、製作のブレインとして活躍しています。 

しかし押井監督は自分の言葉だけで

スポンサーを説得していかなければならなかったはずです。

そんな状況が、監督の理屈っぽい作風に深い影を落としていると感じます。