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話数ラスト30秒が超絶かっこいい! ~『コンクリート・レボルティオ』1、2話~

ストーリーの葛藤をラスト30秒に集約する手法

 『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』は、今期放映されている中でも「次どうなるんだ!?」の魅力に、特に長けているアニメだ。
 本作の舞台は、神化40年代という偽史的な昭和だ。そこには、ウルトラマンのような巨人や、ゴジラのような怪獣、鉄腕アトムのようなロボットが、みんな「超人」というくくりで同時に存在する。彼らが実際に存在することは公には伏せられているが、ほとんど公然の秘密だ。

 本作の大きな特徴は、時系列が錯綜した、その語り口だと思う。
 ある時点を境にして主人公の男女2人は袂を分かってしまうことが、冒頭から示唆される。一緒に理想を追った時期、そして敵同士になってからのエピソードが交互に乗り入れながらストーリーは進行していく。

 特にその語りがクライマックスを迎えるのは、各話のラスト30秒だと思う。
 本作のストーリーは、空白となっている「ある時点」を謎のままとしながら、各々の思いがラスト30秒のコンフリクト(葛藤)へと強力に収束する。
 この記事では、そんな各話数のラスト30秒を振り返りたい。

 ※ここからあと、全部、その話数のネタバレです!

第1話「東京の魔女」のラスト30秒:主人公2人の因縁とコントラスト

 左手に謎の力を宿した男、人吉爾朗(ひとよしじろう)に惹かれて、超人の発見と保護を行う部署「超人課」に入ることになった星野輝子(ほしのきっこ)。この話数のラスト30秒は、輝子が爾朗を追って超人課に入る瞬間と、輝子の元から爾朗が去っていく瞬間が、いわゆるカットバック(場所や時間の異なる出来事を、交互に見せていく手法)で描かれる。

 常ない冷酷さで見捨てたと思っていた超人グロスオーゲンを、爾朗は、超人課に反してでも救っていた。超人課を離れた爾朗のことを、どこかで誤解だと思っていたい輝子は、爾朗に向かって叫ぶ。
「やっぱり、あなたは私が(思ったとおりの…)!」
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 爾朗の遮るような「俺はもう超人課には戻らない!」に、たじろぐ輝子。
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 そのまま去っていく爾朗に、頑なさを感じ、追いかけることのできない輝子。
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 ※バックでは「あの素晴らしい愛をもう一度」が流れている。
 輝子の脳裏には、超人課に入った時の風景が不意に思い起こされる。そして、言葉もなく、次の3カットが続く。
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 輝子はあの時と同じように、まだ爾朗を追い続けている。しかし、もう、あの時の2人に戻ることはないのだ。輝子にはこのとき、それが痛いほど分かってしまう。
 対照的な2人の関係が、柔らかい夕焼けと、そして曇天の雨模様のうちに表現され、鋭いコントラストを生む。

 ここでEDに入る。とても印象的なラストシーンだ。
 本作には、こういうラストシーンがいくつも登場する。第2話はどうだろう。

第2話「『黒い霧』の中で」:変わってしまった、戻らないものへの哀愁

 化けるのが得意な妖怪、風郎太(ふうろうた)は、国会に立てこもった別の星人のもとへ単身飛び込む。彼はウイルスを使って星人たちを一網打尽にし、超人課へと入ってきた。しかし立てこもっていた生物は、風郎太の友達、カムペの家族だったのだ。

 数年後、風郎太のもとへ、カムペは復讐に戻ってくる。しかし、風郎太を殺しても家族は帰ってはこない、カムペが風郎太を憎んでいる理由は家族の恨みより、自分との友情を裏切られた悲しみだと爾朗に言われ、カムペは武器を降ろす。
 カムペは風郎太に「私、大人になったわ。だけどあなたは、あの頃のまま。今の私たちじゃ、友達にはなれないわ」と、悲しそうに言い捨てると、どこへともなくカムペは去っていく。

 ひとり残された風郎太は爾朗にどうにもならない感情をぶつける。
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「あの頃は簡単だった。悪いのがいて、いいもんの超人がそれを倒してくれた。おいらも、正義の味方だった、そうだろ?」
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「いつから、こんなややこしいことになっちまったんだ?! いいもんとわるいもんの区別もつかない! あんたとおいらも敵同士、なんでだよ…!」
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「おいらはいつまでも子供だ、だからわかんないのか? だったら! おいらも大人になりてぇよ!」
「いや、いいんだ。お前はそのままで。いいんだよ…」
 泣きすがる風郎太。
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 (劇伴では「空に星があるように」が流れている。この曲は、今は全てが終わって、消えてしまったけども、かつての自分には、小さくまたたく星のように信じるものがあった、という歌だ。)

 そして時間は、風郎太が超人課へ入ってきた時の場面へ、シーンは戻ってくる。
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 風郎太は外で待ち、メンバーは風郎太を超人課に入れるかどうか、多数決をとっている。反対多数と思われたところを覆したのは、予想を裏切って、爾朗だった。
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 「あいつは…、俺たちが悪を倒していい超人を守る組織だと思っている」
 「ハァ?」
 「あいつがいれば、俺もいつもそれを思い出すことができる。だから、必要です!」
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 風郎太はドアを開けて、超人課に入ってくる。彼はさきほどまでのやり取りを知ることがない。
 風郎太の笑顔に、先ほどのシーンの爾朗のセリフ「いいんだ、お前はそのままで」が遠くリフレインする。

 ここでEDに入る。あのですね…、これ、超かっこよくないですか?
 
 風郎太は妖怪で、年齢を重ねることがない。
 それは風郎太の姿がずっと子供のままでいる、ということ以上に、風郎太が今でもあの頃、超人課の主人公たちが信じていた、無垢な正義への信頼を、ずっと持ち続けているということを指している。
 自分たちが為していることが常に正義かどうか疑う苦しみに晒されていた爾朗にとって、風郎太は、自分の正義が、子供たちが信じる正義から外れていかないようにするための、星のような道しるべだったのだろう。

 風郎太は「あの頃は簡単だった」と言うが、恐らくそうではない。あの頃の爾朗たちには、簡単なように見えていただけだ。
 そして爾朗は気付いて、そして大人にならざるをえなかった。爾朗は自分が正義ではなく、間違っていることを知りながら、その歩みを止めることはない。大人になってから見る夕暮れの寂しさ、冷たさ、そして孤独が、爾朗の歩む道の先行きを暗示するような不吉な終わり方になっていると思う。

『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』が目指すもの

 ここまで『コンクリート・レボルティオ』が目指しているゴールというか、何か表現したいものごとが、各話数のラスト30秒に集約されて展開されている様子を、細かく追ってきた。
 本作のラスト30秒では、時系列を大胆にジャンプすることで、同じ構図が違う意味合いを持って見えてきたり、もしくはキャラクターの隠されていた内面が鮮やかに照らし出されたりしていく。
 つまり、キャラクターのストーリーに対するアクションが、ひとつの象徴的なシーンの中に、ビタっと絵画のように整理されて、再提示されるのだ。これが、視聴者に強い感動を与えるのだと、僕は思う。

 では、第3話、第4話はどうだろう。これは、次の記事で触れてみようと思っている。

 本日は以上です。