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μ'sはどこに戻ってきたのか ~『ラブライブ!』劇場版で、ふと悲しくなった~

ラブライブ!』劇場版の複雑な悲しさ

 にこまきながら(遅まきながら)『ラブライブ!The School Idol Movie』を観てきました。
 特に前半には難しいレイアウトで良い芝居をさせるカットが頻出したほか、ダンス中のカメラワークを作画で行うカットも多く、劇場版ならではのリッチな画面づくりが堪能できました。
 また、各キャラクターの見せ場はしっかりと確保されており、アニメ第1期・第2期と活動し続けてきた彼女らの集大成として、満足のいく仕上がりになっていたと思います。

 ひとつ、僕が気になったのは、本作がどこへ向かって進んでいたのかということです。
 本作の第2期終盤、そして劇場版はμ'sというグループのプロモーションムービー的ではありながら、それを少しずつ、確実にμ'sの9人が拒否していくような作りになっています。僕はそれが本作の特異な作家性の発露だと思っていますし、同時に、観客である僕ら自身の罪であるようにも思えて、非常に複雑な気持ちになります。

 以下では、μ'sというグループはどこに行きたかったのか、そしてそれを妨げていたのは誰なのかについて、自分の考えを短くまとめました。

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ラブライブ!Official Web Site | 『ラブライブ!The School Idol Movie』キャスト&スタッフ

「ラブライブ!The School Idol Movie」劇場本予告(90秒ver.) - YouTube

<以下、ネタバレ>

第2期終盤で検討された課題の再検討

 本作のストーリーは、基本的には、第2期終盤で検討された問題の再検討だと思います。その問題とは「9人でひとつのμ'sというグループを、9人だけのものとして扱うべきかどうか」ということです。

 第2期終盤、彼女らは、3年生が卒業したあともμ'sを続けるということが、μ'sというグループを予想外に大きな、肥大化したものにさせてしまうであろうことに気付きます。
 それゆえ、μ'sというグループが自分たち9人のものである、そういう「今」が続いているあいだに、μ'sを終わりにすることで、彼女らの「今」を永遠であるものの内側へ退避する、そういう決断をしたのだと思っていました。

 劇場版では、海外公演を経てμ'sの人気が不動のものとなったとき、彼女らの決断はしばらくのあいだ、揺らぎます。それはμ'sというグループが、第2期終盤に「音ノ木坂学院という学校の生徒みんなのもの」になりつつあったことと同様、劇場版ではμ'sが「スクールアイドルというムーブメント全体のもの」になりつつあることを、知ったからです。
 だから、第2期OPでμ'sは、音ノ木坂学院の生徒たち全員と踊る必要があったし、そして劇場版では数百人単位のスクールアイドルたち全員と踊ることで、彼らの折り合いをつけていく必要があったということです。

ラストライブの美しさの理由

 劇場版で最も美しいのは、やはりラストライブだと思います。μ'sが第1期3話で初めて踊ったとき、そこには観客がいませんでした。しかし彼女たちの活動は他のみんなの心を動かし、いつの間にか、彼女らは自分たちのためではなく、誰かのために歌うようになっていたように、僕は思います。それは、劇場版に至っても同じことでした。μ'sはラブライブのために歌い、そしてスクールアイドル全体のために歌わなければならない。

 しかし、劇場版終盤のラストライブでは違いました。他のステージと同様、観客は見えません。ただ、客席にはサイリウムの光もなければ、歓声も聞こえない。彼女らを撮っているカメラの映像も見えない。ただ、メンバーの顔が1人ずつ映され、そして写真の中に定着されていく。
 彼女らはやっと、誰もいない講堂のなかで見つけた、誰かのためではない、9人のためだけに歌う場所に帰ってきました。(僕は、あのラストライブは観客無しで開催されたのではないか、とさえ思っています。)
 μ'sというグループがここまで来るためには、色々な人々の協力が不可欠でした。しかし、彼女らの最後のわがままは、ただ自分たちのためだけに歌う場所に戻って、音ノ木坂学院の未来でも、スクールアイドルの行く末でもなく、ただ「今」を、「私たちがここにいる」ことを喜ぶために歌いたい、そういうものだったのではないかと思います。

 穂乃果は帰国する飛行機の中で、「どこからどこまでが夢だったのだろう」と言います。ずっと夢のようだった、短くて長い夢の終わりのステージには、9人以外は誰も入れません。
 我々観客さえ絶対に入れない場所で、彼女たちが「今」をずっと踊り続けること。それはたった5分間しか叶わなかった、短い夢だったのかもしれませんが、ある時点から9人はずっとあの場所を目指して走り続けてきたのだと思います。そして、その「今」はあのとき、やっと、永遠の内側に定着されたのではないでしょうか。

 μ's、本当にお疲れ様でした。そして、あなたたちから自由に歌う喜びを奪ったのは、μ'sファンであり、僕ら観客自身でした。