あにめマブタ

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『ソウルイーターノット!』第10話、フレーム内⇔フレーム外の緊張感

ソウルイーターノット!』第10話「悪夢のはじまり!」は今期のベスト話数のうちの1本。
オムニバス形式で軽い調子の第9話「カボチャ、グローウィン!」から一転し、ダークな雰囲気で進行する第10話は、他の話数との演出的な落差で強い印象を残しました。今回はこの話数の中でも、特に気付いた部分について、話したいと思います。(ちょっとだけ12話の話もします。)
(特に断りがない場合、画像は第10話からの引用です)

<第10話メインスタッフ>
脚本:森江美咲、橋本昌和
絵コンテ:松尾衡
演出:鳥羽聡
作画監督:堀川耕一、松田剛吏、藤巻裕一

ベストオブ

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ここから暫くお預けとなる「ががんとすー♪」は渾身の一回。まさかこのあと、あんなことになろうとは。後ろのタヌキの置物も、魔女の仮装してる。タヌキに似てるキム先輩が実は魔女なんだけど、これは無意識?

3人の机事情

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↑つぐみの机。めめとアーニャの机と比べると個性が出てくる。この中にマカ先輩から貰った「BRAVE」の本もある?

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↑めめの机、ふせんばっかり貼ってる。色々忘れないようにだ。

実はこのふせん、初期話数と比べると増えてたりする。次の画像は第2話「女子寮あらかると!」より。
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↑教科書や小物が増えてるほか、壁のふせんや教科書にピョコピョコ挟まれたふせんが増えてる。もう2学期だし。

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↑アーニャの机も少しずつアップデートされてる。この画像も第2話、アーニャが生活費を使ってガラクタを仕入れてきちゃう直前。さっきの画像と比べると、変な扇が増えてる…。

画面にキャラはどのように収まっているか

第10話は1ショットの中にキャラがどのように収まっているかという部分に、制作者の意図があると思った。さきほどからの画像とか、下記の画像は第10話冒頭だけど、みんな一緒の画面に収まってる。視線もまっすぐ交差してる。
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その流れが一変してしまう理由は、エアメールでつぐみの飼い犬のポチの危急が伝えられたこと。これ以降、みんな一緒の画面に映る機会はぐんと減ってしまう。
1.つぐみの目だけがフレームから消える
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2.めめの言動に、つぐみは突っ伏したまま、アーニャの目もフレーム外へ
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どうして目がフレーム外に消えるのか。

本作では、魔女の精神支配を受けている人間は、右目にマークが出ます。その人が本当に操られているのかどうかは、目を見なければ分からない。魔女の脅威が町を覆いつつあるのと同調するかのように、3人もお互いの目を見て話すことができなくなっていく。
このあと、めめが実は魔女に操られていたのかもしれないと聞かされたつぐみは思いをどうにもできず、めめをかたどったランタンに向かって謝るのだけど、アーニャに叱られてしまう、めめと向き合って話せないつぐみと、それをなんとかしようとするアーニャの構図だ。(ここはアニメオリジナルシーン。月刊少年ガンガン7月号「床闇」にあたる。)
とはいえ、アーニャも実はつぐみ・めめに対して秘密を抱えており、この話数のラストで、アーニャとつぐみの視線も交わらなくなっていく。

別件:めめが出ていったときのつぐみ、髪の落ち方が本当にうまいなぁ。前髪の短い、少年みたいなデザイン。
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「視線を交わさない」ということ

めめがつぐみの悲しみを忘れてしまったことが追い打ちになり、3人の関係はギクシャク。アーニャが作ってくれたシチューを食べるシーンは、各キャラが執拗にお互いの視線を避ける流れがとても上手い。以下、カットの流れをそのまま追います。

1.アーニャの気遣う視線「私も、シチューくらいなら、もう1人で作れるんですから!」※この直前のカットは、夜の寮の全景を映すカット。
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2.うつむいたままで生返事のつぐみ「おいしいです」
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3.近づく足音に入り口の方を見やるアーニャ「アッ、めめさん!」
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4.声をかけたアーニャに目もくれず、テーブルに向かうめめ
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5.びくっと身じろぎするつぐみ、めめの方を見れない
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6.食べていかないかという誘いを断ってシチューだけ持って出て行くめめ
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7.アーニャの自分を追う視線にも気付かないかのようなめめ
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8.画像1と同じ視点。スプーンが食器に当たる音が空々しい
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冒頭で3人が一緒の画面に収まっていたのとは対照的に、このシーンに多くのカットに至っては、3人が一人ひとり画面の中に収まってしまっている。カット間の関連性を見てみれば、3人の視線は一方通行で交わらず、お互いの目を見ていない。
状況をどのように効果的に表現するかというのを一般に演出というらしいのだけど、前話数の余韻を冒頭で印象づけてから数分でこの落差。冒頭にあの一連のシーンの有る無しによって、話数全体のイメージが鮮やかになってくると思う。

REDGARDENノット!〜ソウルイーターノット10話 - まっつねのアニメとか作画とか
このまっつねさんの記事だと「演出が女の子との間に一枚フィルターを置いて、距離感を最初から最後まで保っている」という今敏さんの分析や、「カット尻でアーニャが『カメラの方向を向く』事で、視聴者に『第三者』の感覚を与えて感情移入を拒否する」という視点が挙げられている。

めめ役の悠木碧さんのキャラステアリング技術

本人からの連絡を受けて、めめが確保されている建物に向かったつぐみとアーニャ。(これもアニメオリジナルシーン。原作は前掲と同様の回にあたる)
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3人のドア越しの会話から始まるワンシーン、悠木碧さんのお芝居のセンスがやっぱりすごい。(ガンガン7月号の監督インタビューでは、やはり本人が1人2役していることが語られている)
一言ごとにシャウラとめめを演じ分けているのだけど、演じ分けるキャラによってセリフのタイミング取りもかなり分別しているので、まるで2人が交互に話しているようなシーンに仕上がっている。シャウラの喉から空気が洩れてるような、しゃくりあげる声色の使い方もうまい。
↓赤い右目を見世ないようにして振り返り、茜を油断させる、ギミック的なカット。芝居とのマッチングがすごい。
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脱線。アニメの入れ替わり芝居回といえば、最近だと『ラブライブ!』2期第6話で出てきたけども、『ココロコネクト』第5話、ヒトランダム編最終話「ある告白、そして死は……」の中で、豊崎愛生さんと沢城みゆきさんのキャラ入れ替わり(自分のキャラの声で、相手のキャラの演技をする)が最も印象に残っている。「乗り移り」側の役者がまず演じたものを、「乗っ取られ」側の役者がよく聞いて、演技をトレースするという手法らしい。第一線の表現者の異様な観察力の高さが伺える、必見話数だ。

めめ描写のこだわり

めめがシド先生と対峙したとき、シャウラがめめに蠱惑的な身振りをさせて、見えない場所からめめを人質に取っていることをアピールする2カット。これもアニメオリジナル。
他の話数だとパンツ丸出しのめめなのに、スカート少したくし上げる仕草がまるで別人。悠木碧さんの芝居のテンションも高い。
第12話でもドカーンとパンツ見えるカットあるけども、カラッとした見せ方。でもここはパンツ見せない。ここにこだわりを感じた。
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↓舌なめずりの芝居。ここで上手いのは、単に舐めるのではなく、押し当てながら舌を横滑りさせてるから、舌の肉が少しだけ肌に残留して、シルエットが、引っ張った円みたいにゆがんでいる。漫画とかだと記号的に使われるけど、良い表現だと思う。
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フレーム外からの侵入

冒頭では目までフレーム内に入っていたキャラたちも、つぐみに届いたエアメールをきっかけに、心情を表す目がフレーム外に逃げていくことを、先ほど説明した。シド先生対シャウラの場面でも、フレーム内⇔フレーム外という区分で表現されている。
1.シドと対峙したシャウラが会話の途中で意味ありげなセリフ
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2.衝撃音と、何かに驚いたようなシド
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3.左手にシャウラ、右手にシドという構図の中で、シド側の右手、しかも画面外から矢が突き立てられている。この矢も元はシドのチームの物
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4.とっさに背後にパンチを入れるシド
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5.矢を突き立てたのはめめ、吹き飛ばされる
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6.シド「しまった!」と言いつつ、めめの足止めは茜とクレイに頼んだはずだったのに、と一瞬だけ考えている隙に、今度はシャウラ側の左手、画面外から毒牙が伸びている。
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話数の前半で見られたのは、「今までフレーム内にあったものが、フレーム外に逃げていく」ことで、今まで分かっていたものが分からなくなる、という構図だった。
しかし終盤になると更に状況は進み、「フレーム外にあって分からなかったものが、フレーム内に侵入してくる」ことで、全く予想もつかない脅威に襲われるという事態となる。
※実は原作でも当該のシーンも同じように、左手に向かって対峙するシドが、右手から詰め寄る仲間に気を取られて右手を向いた瞬間、シャウラに襲われる。
つまり、第10話はストーリーの明確な転換点であると同時に、映像が流れている画面上での演出が次のように急速に移行していくことで、作品世界が見知らぬものに乗っ取られていく状況を表現しているとも思える。シドのチームメンバーも、同じように画面外から倒されていることにも注目。

 序盤:3人の顔と目が同一のフレームに収まっており、お互いの考えていることを理解できている
 中盤:3人が1人ずつ別のカットに分割。または目が映らなかったり、視線が合わなかったりと、お互いを見ようとしない。意図を読み取るための材料がフレーム外に逃げてしまう。
 終盤:画面内に映っているものに気を取られた隙に、カメラに対して影になっている部分やフレーム外から魔女の脅威が侵入してくる。

ラストになると、つぐみとめめの間を取り持つように動いてくれていたアーニャも、自分が王女であることがつぐみにバレたことで、やはり画面外へ消えていく。
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この時のつぐみにとっては、本当は魔女に操られていたこと、本当は王女だったこと、それぞれが2人への小さな不信感としてのしかかってくる。でもそれは、つぐみが自分の飼い犬の苦境を二人と共有できなかったことと、実は同じ場所にある。3人が3人とも、みんなと共有するわけにもいかない事態を抱えていたのが、それが魔女の脅威をきっかけにして吹き出してきたというだけのことなのだ。
補足:アーニャが王女というのは、いくつかの部分で示唆されている。ヘプバーンという恐らく偽名は『ローマの休日』で、自らが王女であることを隠して登場するオードリー・ヘプバーンから取ったものだろう。第11話には同作に登場したスクーターであるベスパが登場し、この街には同作で登場する、イタリアのスペイン広場に似た「デスペイン広場」もあったり。
原作者の大久保篤さんはどうやら映画ファンなんかな、寮長は『ミザリー』のパロディだ。

まとめ:「誰も寝てはならぬ

第10話で、魔女の狙いが明らかになってくる。
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シド先生が殺された現場には「誰も寝てはならぬ」と血で大書される。これは第6話のラスト「お前らが寝ている間にも私たちは動いてる」というメッセージの続きだ。
誰も寝てはならぬ」と言えば、オペラ『トゥーランドット』の有名なアリアの名前だ。(勿論、僕は未見だ…)
この歌は、トゥーランドット姫の難題をクリアした王子が、それでも結婚をしぶる姫に「夜明けまでに私の名前を当てられなかったら、本当に結婚しましょう」と言い、それに対して姫が国中に「誰も寝てはならぬ」とお触れを出す。誰も寝なければ、夜明けは来ない、負けないからだ。姫は夜を長続きさせようと必死になり、王子は朝が来れば勝ちだと叫ぶ。
ここでのトゥーランドット姫は勿論シャウラだ。シャウラは人々を、眠らぬ死者であるゾンビならぬ、眠らぬ生者をゾンビのように操り、デスシティを終わらない夜の世界にしようとしている。そういう意味で、第12話の最終話は、ゾンビものの様相を呈してくるわけだ。
対するつぐみたちが目指すのは、王子のように、夜明けを取り戻すこと。本作のOPは朝日を見る3人の姿で終わる。シャウラの終わらない夜の世界を打ち破り、デスシティに夜明けを取り戻せるかどうか、という構図がここで浮かび上がってきた。
シャウラが本拠地としている時計台の廃墟には、文字盤に針が付いていない(アニメオリジナルの要素だと思う)。これも、シャウラがデスシティの時間を止めようとしているという意図が露出したものかもしれないな。

本日は以上です。
このあと、第12話と本作のOPについて、あと1記事書く予定です。