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たつき監督のキャラクター演出と、赤い木の悪魔的なデザイン(『ケムリクサ』最終話)

毎クール、最終回をリアルタイム視聴したくなるアニメが1~2本出るんだけど、『ケムリクサ』はそれでしたね。
界隈の盛り上がりに押されて、最終話放送週の日曜日に配信で追いついたクチだったんだけど、すごく楽しませてもらえた。

これはみんなの語り草だけども、最終話直前、11話のエンディング映像の演出にはズガンときた。
本作のエンディング映像は、元の6姉妹がだんだんと脱落していく、本編スタート前の物語を、6本の線とシルエットだけで表現するものだった。

!!ここから『ケムリクサ』最終話までのネタバレします!!
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11話は、6姉妹の出生と世界の起源を明らかにする、いわばケムリクサ・ゼロなんだけども、本作は「6姉妹が生まれる瞬間をアニメでは描かない」。その代わりに、6姉妹の元となった、りりのシルエットがエンディング曲の始まりと同時に6本の線に分かたれ、それまでのエンディング映像へシームレスに接続していくのだ。

このグラフィカルな演出にはいくつかの強さがあると思う。
まずは1人が6姉妹に分かれたのだということを、本編映像を使う以上に、一目瞭然に図示してくれる。
次に、エンディング映像自体が時系列を模しているため、11話の内容が本編の前日譚であることも分かる。
更には、「キャラクターのここまでの道のりを、11話で提示された情報を使って、もう一度振り返ってみてください」というメッセージさえ伝達できるのである。*1

たつき監督のストーリーテリングは、「たつき節」とでも言うような独特な口語表現(※)に加え、単に言葉だけではなく、必ず絵・グラフィックやムービーというかたちで、お話を味わうための視覚的なフックを必ず用意してくれている真摯さにも、たつき監督の独自性や、作品を読み解くおもしろさというものが潜んでいると思う。

※『ケムリクサ』11話で壁の向こう側のりりにかけるワカバの長セリフから垣間見える、ワカバの思慮の深さにも胸を突かれたが、『けものフレンズ』10話ラストで、涙の理由もわからず泣き出したサーバルのセリフ「あれ、あれ、おかしいな、早起きしたからかな」の、追突されるような切れ味も、個人的に忘れがたい。(サーバルはあくびしたときに出る生理的な涙以外の涙を知らないのだ)

この記事では、2つくらい小さなトピックを挙げて、たつき監督による「視覚的にストーリーを語る演出」について話せるといいなと思う。

『ケムリクサ』12話の赤い木の正体

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本編11話ラストで登場した、6姉妹とわかばが戦うラスボスは「赤い木」と呼ばれている。その正体は11話でりりが既存のケムリクサを掛け合わせ、ケムリクサを止める働きを持たせた、いわばアンチ・ケムリクサの本体だった。
しかし、当のりりは、ワーカホリックのワカバに仕事を休んで身体を大切にしてほしいという思いから工夫して作り出したのは確かで、しかしその工夫ゆえに、事態はワカバに命を捨てさせてしまうにまで至るという部分に、彼らの悲劇がある。

つまり「赤い木」さえも、りりのポジティブな感情から生まれた、りりの一部なのである。
さて、そういう経緯は「赤い木」のどこに反映されるのかというと、そのデザインだと思う。

一見、腕の生えた木に見えるが、肋骨のようなパーツが印象的なため、人間の上半身にも見える。
しかし、首や手指はなく、内臓もない。なぜか。

本作の6姉妹は、りりという一人の人間の各属性が、各人格に分割されて生まれたため、それぞれに担っている役割がある。
りつねぇは耳が良く、りなは味覚など、ほぼ五感(視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚)に対応しているように見えただろう。

では、人間から五感を奪ったら何が残るか。
感覚器官が存在する頭部は、丸ごとなくなる。
触覚が集中する指先、そして皮膚もなくなるだろう。
更に、味覚の延長線にある消化器官・内臓もなくなる。
感覚による快不快がなくなるため、移動する必要もなく、脚もなくなる。
ちょうど、肋骨と腕だけが残った上半身、つまり「赤い木」のような姿かたちにになるのではないだろうか。

「赤い木」は、りりのゾンビだ。

りりが赤い木に直接、変身したわけではない。しかし、赤い木も確かに6姉妹と同様に、りりが残したものの一部である。
自分のポジティブな思いから生まれたものがゾンビとなり、自分自身と大切なものを破壊していく。
赤い木の、肉が剥き出しになったような痛々しいシルエットは、そういう悲哀を背負っているように見えた。

キャラクターのポージングの妙

関係性のあたたかみの距離感はどこに出るか


ひとつ前の項では、赤い木のデザインに託されたキャラクターの悲しみの演出について思うことを話したが、たつき監督のキャラクター演出が、嬉しさや楽しさを表現するときのことについても話したい。
この項では、たつき監督の視覚的なキャラクター演出に関して、『ケムリクサ』から少し離れて話していく。

たつき監督は、プロとしてのキャリアを、CGアニメーター・CGデザイナーから始めている。
監督としてチームを率いる立場から、実際にアニメ―ターとして全てに手を加えているわけではないだろうが、キービジュアルや個人でアップロードするCGなどは、たつき監督本人の手が加えられている。

たとえば、『けものフレンズ』最終回放映後に、監督のツイッターアカウントにアップロードされた、上記の絵だ。
かばんちゃんとサーバルの、くっつけた頭のあいだに座る、ボス(小動物型のロボット)の足のポーズの付け方を見てほしい。
猫など、人に慣れた動物が太ももの上とかに座るとき、確かに、その間になぜか嬉しそうにはまりこんで、こういう感じになるんだよな…。
また、ボスのでかいお尻で、かばんちゃんの帽子の羽根がつぶされてたり、サーバルの耳が柔らかく押しのけられていることで、CGであるにも関わらず我々に感じられる、ふわふわした質感・軽々とした量感。そういう演出の細やかさに、たつき監督の凄腕のCGアニメ―ター・アニメ演出家としての側面が見えると思う。
この絵、3人の関係性のあたたかみが、3人の顔が集まる領域に集中して演出されていて、本当に好きな絵です。

子供のワクワク感はどこに出るか

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もうひとつ、たつき監督の絵を紹介したい。
けものフレンズ』アンソロジーコミックの表紙絵だ。かばんちゃんの本をのぞき込むサーバルの顔からは、嬉しさとワクワクが伝わってくる。

この絵の素晴らしいところは、テーブルの下の足の表情付けだ。
重心を左側にかけたかばんちゃんの両足が右側に両足そろえて傾く、こういうユニセックスな魅力を演出しておくのはもちろん、サーバルの足の甲が地面にペタッと向いているのも素晴らしい。
同じポーズをしてみると、上半身が前のめりになることがわかるだろう。
質感・柔らかみが表現しにくい3DCGを通してであっても、子供がワクワクして前のめりになっているときの気持ちを、こういうポージングを通して我々の身体感覚に訴えてくる。
キャラクターへの愛情を、視覚的なかたちで伝わるかたちに具現化する手つきの確かさが、たつき監督の演出の強さの根本にはあると思う。

アニメーション制作者のかたち

僕は今まで、たつき監督のようなTVアニメーション制作者を知らなかったように思う。
ティザームービーも、後日談も、カーテンコールも、たつき監督の個人アカウントから発信される。しかもそれは本編から遊離した断片なのではなく、絵柄・映像・声もTV放映からそのままの、本編そのものなのだ。

たつき監督のクリエイターとしてのサービス精神というものは全て、必ず「作品」という形をとって我々のところにダイレクトに即座に届くこと、それがたつき監督作品を追うことの幸福のひとつだ。
僕はそこに、アニメーション制作者と、我々受け手の全く新しい関係性が見えたような気がして、とても嬉しく感じた。

小ネタ:『ケムリクサ』で都市の下に出てきた網目

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『ケムリクサ』9話ラストで、富士山の下の網目みたいな構造物が出てきましたね。
あれは11話で明かされたとおり、3Dプリンタ―のように地球のいろいろなものを船の中に再現したときに出来た、一種の「サポート材」の表現だったのだと思います。一般的な3Dプリンタ―は真上から液体を落として造形するので、地面に接していない部分をプリントするためには、そこまで「サポート材」と呼ばれる足場を柱のように積み上げる必要があるそうです。
3Dプリンターで造形したことがある人は、もしかしたらこの時点で、この世界の秘密に気付いていたかも。

↓「サポート材 3Dプリンタ」での画像検索結果。
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↓サポート材のわかりやすいサンプル。


本日は以上です。

*1:実際、本編の「1島、2島~」の番号は、それぞれ「1話、2話~」でキャラクターたちが旅していた島と、だいたい対応しており、僕らはどの島に何があったのかをなんとなく記憶させられている。これにより、11話の各描写が「あの話数のあの場所か…?」というフックになり、僕らはまんまとそれまでの話数を観返すことになるのだ。