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あにめマブタ

@yokolineのアニメ記事がアップロードされます

劇場から彼女にハローと呼びかけること ~『血界戦線』OP/ED分析~

アニメ 作画 考察 演出 血界戦線 感想

血界戦線』OP/EDを読む

 各30回ほどは観ているだろうか、というのは、4月から始まったTVアニメシリーズ『血界戦線』のオープニング、エンディング映像のことである。
 ともに松本理恵監督が絵コンテを担当した2本の映像には、いくつもの物語上のヒントや、テーマに関係する事物が登場する。この2本の映像を少しずつ追っていくだけでも、本作が描いていくものの内実に、より近付けると思う。
 今や、物語は佳境を迎え、事態は抜き差しならない状態だ。今週末からの総集編に向けて、本作が描いてきたものを、OP・ED映像を観ることで、整理していこう。

世界劇場という考え方

 本作の主人公 レオナルド・ウォッチは、鍛え上げた強靭な肉体を持っているわけでも、厳しい修行によって得た技術を持っているわけでもない。
 しかし彼は、一種の事故に遭ったことをきっかけにして、秘密結社ライブラに加入し、異界と現世が交わる、その最前線に身を置くこととなる。
 もともとのレオは、ライブラにいるべき人間ではないだろう。
 彼はどうして、本作の主人公だったのだろうか。

 本作のOP、EDについて考えていく前に、ある戯曲作家が書いたセリフを書き留めておく。
 
 "All the world’s a stage, And all the men and women merely players: They have their exits and their entrances;"
 ~世界は舞台だ、あらゆる男も女も、そこでは役者でしかない。彼らは各々の、退場口と入場口とを持っている。~

 『血界戦線』のOP/EDには、どちらも「舞台」が映される。
 本作は、訳の分からないまま、今まさに上演されている芝居の中に放り込まれた、ごく普通の人間の物語なのだ。

OP前半:レオは突然、自分が舞台の真ん中に立っていることに気付く

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1-1.ヘルサレムズロットの夜が明ける
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1-2.レオの妹は目を閉じたまま、陽の差す湖畔で微笑を浮かべている
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1-3.前カットからオーバーラップして、夜景をバックに目を見開くレオ
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1-4.電飾きらめく観覧車を背負って、丸盆の上に立っているレオ

 サビ前の数カットを見てみよう。
 ヘルサレムズロットの夜明けから始まったOP映像は、街の灯を背に、その眼を見開くレオのカットでサビに入る。カメラが一瞬で遠方に退くと、レオが立っているのは、円盤のような舞台、丸盆の上である。
 レオは、異界の住人に「神々の義眼」を移植されたことで、この場所にやってきた。しかし彼は、自分がどうしてここにいるのか理解していないし、戸惑ってさえいる。それは、次カットから続く、長回しのアクションカットが示している。

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2-1.画面を猛スピードで横切るソニック。後方にはチェイン
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2-2.K・K、ギルベルト、スティーブン、エイブラムス、ザップ、ツェッド。レオは怯えながら身をかがめる。
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2-3.ブローディ&ハマー、クラウス。
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2-4.ホワイト、ブラック、そしてミシェーラ
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2-5.気付くと、レオは再び、舞台の上に立っている

 めまぐるしく変わる風景と、次々に登場しては画面外に消え去っていくライブラメンバー。レオはうつむき、身をかがめ、嵐をやり過ごすような動作をしている。
 しかし、ホワイトが現れたあたりから、レオは周囲の様子に気づき始める。墓地で風に吹かれるホワイト、雑踏に紛れたブラック、そして神々の義眼を移植された過去の風景が過ぎて、そしてレオはもう一度、輝きながら回る観覧車と、丸盆のある空間に戻ってきている。

 丸盆とともに登場してくる観覧車は、たとえば「運命の輪」を表しているのかもしれない。タロットの「運命の輪」は、善かれ悪しかれ、何らかの変化を示唆するとともに、その名の通り、定められた展開、運命を表す。
 レオにとって、神々の義眼を得たこと自体は彼の意志ではない。そもそも彼は、異界(ビヨンド)の住人に選択を強いられることが回りまわって、この街にやってきたのだから。

 めまぐるしく回転する舞台の上には、ヘルサレムズロットの光景が次々と映しだされていく。彼は運命に操られて、ヘルサレムズロットという舞台と、舞台に上げられた本物の役者、ライブラメンバーたちが演じている芝居に、無理矢理に出演させられているのである。

OP後半:レオを舞台に上げたのは誰か、観ているのは誰か

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3-1.丸盆の上に立っているレオの姿が、急にゆがむ
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3-2.かじったリンゴ(堕落の象徴)を高く掲げる、堕落王フェムト。浮遊する額縁にはレオが映っている

 レオは自分が舞台の上に立っていることに気付いた瞬間、画面にノイズが入る。異界(ビヨンド)の住人である、堕落王フェムトが大写しになり、カメラは更に退く。気づくと、舞台に立っているレオの姿が、パーティーに興じるフェムトたちの眺める、何十もの額縁の中に映しだされている。
 つまりフェムトたちは、ライブラメンバー、ブラック・ホワイト、そしてレオとミシェーラが舞台で右往左往するさまを、優雅に観覧しているのである。
 ここに至って、本作の登場人物たちの立ち位置が明確になる。つまり、現世を生きるライブラメンバー、そしてレオたちを観ているのは、異界(ビヨンド)の観客たちである。地下格闘技上のエピソードが象徴的だったように、ブラッドブリードたちは、あくまで、お楽しみの一環として現世にやってきている節がある。彼らにとって、ヘルサレムズロットの人間どもは、テレビ番組の中の登場人物に過ぎないのだ。

 シェイクスピアは「世界は舞台だ。そして人はみな役者だ」と言った。今回の場合、この言葉の最も重要な含蓄は「人は役者でしかなく、演出家や脚本家にはなれない」ということではないだろうか。人は役者でしかない、しかし異界(ビヨンド)の住人にとってはどうだろう。彼らは役者にとどまっている必要はない。観客として彼らの奮闘をゲラゲラ笑いながら罵倒することもできるし、演出家として舞台の外から役者に指示を出し、運命そのもののように振る舞うことさえ出来るだろう。

 観覧車はレオを無理矢理、舞台の上に押し上げた運命そのものである。ただしそれは、異界(ビヨンド)の残酷な住人による、人為的な、機械じかけの運命だ。彼らは人間たちをもてあそび、運命に屈するのを心待ちにしている。
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 しかし、ライブラメンバーも黙ってなんかはいない。まるで挑発するように観客席側に丁寧なお辞儀をしてみせる。
 タイトル『血界戦線』の戦線とはどこにあるか。本作の戦線、バトルフロントとは、運命をお仕着せしようとする異界(ビヨンド)の住人たちの座っている観客席と、そしてその運命に従うことを何としてもよしとしない、クラウスのような頑固者たちが飛び回る舞台との、その境界上を「戦線」と呼んでいるのである。

ED:カーテンコールのこちら側

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4-1.楽しげにオリジナルの(ヒゲダンスめいた)ステップを踏むチェイン。クラウスは「変なおじさん」。(ドリフターズ?)
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4-2.手足をムチャクチャに振り回して踊るザップ
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4-3.なぜかフォークダンスを始めるメンバー。全く息が合っていない。クラウスとレオに至っては「アルプス一万尺」だ。
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4-4.これはラインダンス。ザップのヤクザキック。バランスを崩すチェイン。
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4-5.チェインをナチュラルにすくいあげるクラウス(最高)。スティーブンのイタズラっぽい笑顔。

 OPが舞台と観客席の間の緊張感を表現していたとしたら、EDはカーテンコールだ。ライブラメンバーが思い思いのステップで踊ってみせる。彼らは非常に楽しそうだが、ひとたび組んで踊るようなことをしようとすると、高校生の文化祭みたいな、ぎこちないフォークダンスしかできない。彼らは基本的にスタンドプレーで輝く人間なのだ。
 酒が入って、彼らも良い気分になってきたのか、肩を組んでキャンプファイアーの時のようなラインダンスを始める。まるで息が合っていない、ムダな動きばかりのダンスだが、彼らの個性が前面に出ていて、観ているだけで楽しくなってくる。

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(↑この各人の体型の描き分け、服のシワの入れ方の自然さが最高だ)

 OPのレオは、ライブラメンバーたちの中にいる自分自身に戸惑っている。しかしEDのレオは、彼らの中に、自身の立ち位置を見つけたようだ。恐らく、松本理恵監督は『血界戦線』という物語に、わけのわからないままに舞台へ引っ張りあげられた主人公が、それでも自分に割り振られた役割をがむしゃらに果たそうとする物語を見たのだと思う。OPはレオの出発点として、そしてEDはレオが目指す場所として描かれているのかもしれない。

OP:レオを導くもの「赤いバラの花びら」

 OPとEDには、同じ小道具として、バラの花びらが使われている。まずOPを観てみよう。
 たとえば、ミシェーラはいつも、赤いバラの花びらと一緒に登場しているが、ここでのバラの花びらは、レオをその先へと導く役割を担っているように思う。

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5-1.OP:ミシェーラの登場1と赤バラの花びら
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5-2.OP:ミシェーラの登場2と赤バラの花びら
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5-3.OP:ミシェーラの車椅子の周りに咲く赤バラ
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5-4.OP:舞台の真ん中で顔を覆うレオ。前カット(5-3)で降っていた赤いバラの花びらは、まだ舞っている。
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5-5.OP:ひとり舞台に残されたレオ。どんちゃん騒ぎの終わり。バラの花びらは消える。
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5-6、7.レオの手元に、心臓のような2枚の花びらが舞う。どこに残っていたのだろう。レオは拳を握る。
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5-8.レオは、瓦礫の上に立っている。頭上からは、赤いバラの花びらが降ってくる。

 ミシェーラが登場する時、舞台には赤バラの花びらが舞っている。しかし、ミシェーラはOP後半からは次第に映像の前方から遠ざかり、最後には、車椅子だけを残して消え去ってしまう(5-3)。
 5-4では、ミシェーラがいたはずの場所で、顔を覆って泣き崩れるレオが描かれる。画面は黒みがかって、ミシェーラを失ったレオの悲嘆と同調する。しかし、バラの花びらだけは、画面のように薄汚れてはいない。ぴかぴかと真っ赤に光り輝き、レオの周りに降り注いでいる。バラの花びらは、ミシェーラからレオに対する愛情を表現しているように思える。
 5-5では、あれだけ舞っていたバラの花びらも消えてしまう。観覧車の電飾も落とされ、舞台は、そして芝居は終わってしまったことが示される。芝居が終わったあとの舞台で、この瞬間、レオは何者でもない。
 5-6、7では、どこかに引っ掛かっていたのだろうか、ミシェーラを表すバラの花びらが2枚、レオの手元に舞う。ミシェーラが消えた場所で、ミシェーラの名残りだけが、レオに拳を握らせる。
 5-8、レオはヘルサレムズロットの瓦礫の山の上に立っている。レオは拳を握りしめ、頭上からは赤いバラの花びらが降ってくる。それは、前に進むことを決めたレオを祝福しているように見える。レオはミシェーラのいない場所で、ミシェーラを取り戻すための戦いに身を投じる。彼はもう、引っ張りあげられた舞台の上で右往左往するだけの人間ではないのだ。

ED:これからの展開では、バラの色に注目(?)

 前段で確認したように、ミシェーラを表すのは赤いバラだ。それは、OP・EDを通して一貫している。EDでは、赤いバラのほか、青・黒・白バラが登場する。これらは、何を表現しているのだろうか。もしかしたら、これは終盤の展開を示唆しているのかもしれない。

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6-1.セピア色の映像の中でも、赤いバラは鮮やかだ
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6-2.白いバラを踏みつぶすホワイト
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6-3.踏みつぶしたバラからは赤い血が溢れる。(このカットのアクションは、骨格の動きに注目。)
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6-4.背中合わせのブラックと絶望王。どちらも白いバラを手に持っている。舞っているのは黒いバラと青いバラの花びら
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6-5.フェムトとアリギュラがトライアングルとタンバリンを打ち鳴らす。舞っているのは、黒・青そして白バラの花びら
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6-6.白バラを握りつぶす手。これは誰の手だろう?
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6-7.大笑いしながら、赤いバラをフォークとナイフで切り分けて食べようという、フェムトとアリギュラ

 おそらく、白バラはホワイトを、黒バラはブラックを、そして青バラは絶望王を表しているのだろう。
 ここからは想像になるが、ホワイトは痛みを伴って、白バラから赤バラへ移り変わっていくように見える。ホワイトは父親から、ブラックを守ってやって欲しいと言われていた。それなのに、兄のブラックを絶望王の犠牲にしてしまったことを気に病んでいる。血を流しても、彼女はミシェーラのように、誰かを守れる自分になりたいと考えているのかもしれない。しかし、本編を観る限り、それは彼女を幸せにはしないように思う。

 フェムトとアリギュラは、ブラック・ホワイト・絶望王を表す花びらが降りしきる中で、ゲラゲラと笑いながら、皿に載った赤いバラを、今にも食べようとしている。さきほど、赤いバラはミシェーラを表していると言った。しかし、血によって白いバラが赤く染まるカットの直後に位置するため、彼らが食べているのは、ホワイトである可能性もある。そして、同じ程度に、ブラック・絶望王のバラのようにも思えてくる。
 ブラック・ホワイト・絶望王は、アニメ版のオリジナルキャラである。そのため、終盤の展開は誰にも予想がつかない。彼らはフェムトたちに食い物にされてしまうのか、それとも。

まとめ:OP/ED

 この記事ではTVシリーズ『血界戦線』のOP/ED映像を少しずつ追っていくことで、本作が「異界人に舞台に引っ張りあげられたレオが、自分自身を、自分が出来ることの最大のことをしよう」と、前に向かって進んでいく物語なのではないかと、考えてきた。レオはクラウスたちと戦っていく中で、あらゆるものが終わってしまったように思える場所から、信じる光に向かって進むことの高潔さを知っていく。
 本作が向かう先は、本作に対して書き下ろされたOPテーマ「Hello, world!」の中に、その一端があると思う。

 おはよう 今でも まだ最後の続き
 叫ぼう そこから どうも 僕はここ

 最後の続きの先で、レオはミシェーラに向けて呼びかけるだろう。本作の終盤に向けて、期待は高まる。

 本日は以上です。

おまけ:OP/EDで一番お気に入りのカット

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 身をかがめるとき、立てた膝が身体に引き寄せられて、同調するように背骨が湾曲する。
 姿勢の関係で首がすくんで、突っ張った手首と肘に力が入る。
 顔の微妙な傾け、髪の質感と服の軽やかさ。白と赤の対比。退廃美など、見どころが語り尽くせない。