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アニメ作画のキャラ芝居・日常芝居を楽しむ ~『アイカツ!』~

作画をゆるーく楽しむ

 前回の記事では、『アイカツ!』第89話「あこがれは永遠に」を題材に、脚本(会話劇の面白さ)について「ゆる見」をしてみた。

 アニメを「ゆる見」するというのはつまり、「この脚本は誰が書いた」「このカットは誰が描いた」という、いつものアニメファンの見方から少し離れて、「どこのどういう部分がこんなふうに良かった」という感想を、少しずつ具体的な言葉にしていくことだ。

<前回の記事>

 前回、「脚本」と「作画」は非常に語りにくいファクターだという話をした。なぜなら、脚本も作画も、完成品に対して複数人が手掛けていることが多いからだ。たとえば脚本は、監督たちスタッフを含めた複数回の脚本会議でブラッシュアップされたあと決定稿となるが、後続工程の絵コンテ・演出で修正・加筆されることも多い。

 脚本家で、シリーズ構成も多く務める金春智子(こんばるともこ)さんは、脚本が出来るまでの工程を次のように説明してくれている。

まず最初に発注会議に出る。そして、プロットを書いたらそれを持って本読みに出席する。その後、ハコ書きの時間も含め1~2週間で脚本を仕上げ、今度は脚本を持って本読みに参加する。
http://www.madhouse.co.jp/special/oginyan/oginyann_06_b.html

 だから、脚本としてクレジットされている方が、その話数の全てのストーリー要素の作成者でもある、というわけではない。

 作画についても同様だ。絵コンテの段階で、カットの内容(動作、表情)が紙数を割いて決め込まれている場合もあるし、レイアウト、原画のそれぞれについて、作監総作監・各話演出・時には監督の修正が入ることになる。個々の演技について、絵コンテには含まれていない要素があるにしても、それが演出・原画どちらのアイデアなのかは、映像からはわからない。

 そのような意味で、脚本と作画を、個々のクリエイターに接続して話すというのは、自分のような視聴者にとってはかなり難しい作業になってくる。
 ただ、それでも話せることがあるとしたら、脚本だったら個々の会話、作画だったら個々のカットについての感想を、細かく書いていくことなんじゃないだろうか、と考えている。

アイカツの具体的な作画

 喋り過ぎたので本題に入らなきゃだ。
前回紹介した『アイカツ!』第89話には、作画面でもハッとさせられるカットがあった。たとえば次のカット。

セット裏へ向かうユリカの芝居

 まずは、ユリカがステージ裏でセットの影に消えるカットだ。
 いつもセットしている髪を下ろしてファンの前に立ったユリカが、ステージに出る直前にステージの裏で、いつもの2つのカールを作る。

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「もしもいつもと違う自分になりたいなら、まずは少しだけ自分を変えてみるの」
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「いつもより10分早起きするとか、ね」
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 このカットの魅力はいくつかある。
 たとえば、セットの向こう側に消えるカットと、髪型が変わったユリカがセットの向こう側から出てくるカットがあれば、視聴者側には「なるほど向こう側で髪を結ってきたんだな」ということは勿論伝わるだろう。

 しかし何をしにセットの裏に回ったのかは、一見しては分からなくなってしまう。しかし、後頭部から髪を分ける動作を入れることで、実際の映像には描かれない部分を視聴者に想像させている。

 絵について言えば、後頭部に手を回したときに少しかがんだ感じになるユリカが、下からイタズラっぽい目つきでカメラの方を見る表情が素晴らしいのだ。(ちょっとそのコマのキャプチャーが取れていない…)

 更に言えば、さらりと見せる首筋があれやね、変身シーンの一端をこちらが見てしまっているようで、申し訳ないよね。そう思わんか。

OPのサイレント芝居

 本作のOPは2クール(約25話)ごとに変化する。
 派手なアクションこそ少ないものの、手・足・髪の先まで丁寧な芝居をさせることで、キャラクターの個性まで表現する作画となっている。*1

 OP作画で特に気を付けて観たいのは、サイレントの演技だろう。OPは歌が流れる都合上、セリフではなく、アクションでキャラクターを説明する必要がある。
 ここで紹介するカットもセリフ無しで、2人のキャラクターが歩きながら掛け合いをする、3~4秒のカットだ。しかし、そこに含まれる演技のボリューム感に注目して欲しい。

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①カット頭から、既にアクションは始まっている。
 かえで(向かって左)は自慢気に頭の後ろで手を組もうとしている。
 ユリカ(向かって右)はかえでのセリフに驚いた様子で、開いた口を抑えるような動作をしている。
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②呆れたユリカはたしなめるように、かえでの肩口を押す。
 かえではちょっと心外そうに眉根を上げ、押された反動で少し反対側へ歩行のラインがずれる。
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③いつものことなのか、動じないかえではもう一度、嬉しそうにユリカの側へ歩み寄る。
 ユリカは不満そうな顔つきで首をすくめながら、手をひっこめる。
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④かえでは身振り手振りを交えて、また別の話を始める。
 ユリカは今しがた怒ったことも忘れて、目を見開いたまま、かえでの話に聞き入ってしまう。

 このカットのどこがすごいのか。

 アウトドアなかえでと、インドアなユリカ。正反対の2人はこの話数の少し前で、関係を深めてパートナーとなっている。①~④では、この短い時間の中に、AのアクションがBのリアクションを呼び、更にAのリアクションを…という流れが、キャラのどちらにも設定されている。

 一般的には、1カット1アクションでキャラクターは動くことが多いと思う。しかしここでは1カットの中で2人が行う複数アクションが、お互いに影響し合うという、非常に豪華なカットとなっているのだ。たとえるならば、1つの曲の中に2つのメロディーラインがあって、それが掛け合いをやるような難しさと華やかさがある。
 更に言えば、①でかえでの話が終わり、④でかえでの話がもう一度始まっているため、このカットはループできるかもしれない。2人はこんなやり取りをいつも続けているのだ。

 絵も細かく観てみよう。
 特に、④のかえでの右手の表情付けに注目して欲しい。チューリップのように立体的に開いた右手から、マジシャンでもある彼女の手先の表情の豊かさが伝わってくる。
 

泣き出す寸前の表情の付け方

 最後になるが、違う話数(第74話 桜色メモリーズ)から、本作でもベストの芝居のうちのひとつを紹介したい。
 ※どうにかこのカットを紹介したかったので、僕はバンダイチャンネルから話数で購入してgifアニメにしたほどだ。

 それは、主人公たちの卒業式の壇上で、後輩の北大路さくらが送辞を述べるシーンにある。
 在校生代表として仲間と共に登壇したさくらは、きちんと練習してきたはずの言葉なのに、主人公たちの前で口に出すや、急に襲ってくる実感に焦り始める。

 このカットは「そんな先輩方がご卒業されていくのは、」というロングのカットから続くひとこと。

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「本当に、…さびしいです」

 実際このあと、さくらは送辞の途中にも関わらず、壇上で泣き出してしまう。このカットで注目したいのは、口と眉と目の筋肉の動きだ。

 経験として、人は涙がこらえるとき、涙が溢れるのを防ぐために目を見開く。

 眉は目の見開きによる筋肉の動きに追随して、驚いたように盛り上がる。
 同じく表情筋の動きにより、口角は上がる。
 喋りの途中なので、唇は本人が意図している「喋り」の動きと、無意識の「涙をこらえる」動きの間でコンフリクトを起こし、唇は上から軽く潰したオーの字に開かれたまま硬直する。

 僕の考えではこうだ。
 「寂しいです」と、今まで思っていても言えなかった言葉を口にした瞬間、不意に襲ってくる悲しみに対する驚きと焦りが、目の見開きと俯き、口の硬直に表れる。
 そして感情を抑えて、務めを果たそうとする生真面目さが、感情とせめぎ合う様子が表情付けから伝わる、そういう凄いカットになっている。

 今までアニメーションで描かれたことがない現象なんじゃないかとさえ思える、非常に細やかな作画だと思う。
 僕はこれを観たとき、アニメはこんなことまで表現できるのかと、改めて驚かされた。

まとめ

 ここまで『アイカツ!』の中から、特にこれと思うアニメ作画をピックアップしてみた。
 アニメを視聴していく中で、これはと思う1カットがあるはずだ。そういうカットを少しずつ紹介して、それがどういう風に作品の奥行きを増しているのか、ということについて色々な人の感想を聞いてみたいと、僕は思っています。

 本日は以上です。

*1:このクールでのOP曲は「SHINING LINE*」。サビの「今私たちの空に手渡しの希望があるね」は凄い表現なんだよホント。毎回、ホントそうだよ、って思ってる。(作詞は、こだまさおりさん)