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『ラブライブ!』1期のストーリー構成分析(映画脚本の観点から)

※以下、同人誌に掲載した文章の再録の後半となります。後半は7000字で、前半で確認した三幕構成の要素を応用し、『ラブライブ!』1期のストーリー構成について分析します。
前半:30分でエッセンスを掴む! ストーリーの黄金率「三幕構成」 - あにめマブタ

<前半からの引き継ぎ資料>
*ストーリー構成のメソッド「ビートシート」
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*ビートシートをもとに描いた感情曲線の模式図
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【24 TVシリーズアニメ『ラブライブ!』の三幕構造

 最後に、三幕構造の分析を実践しよう。ここでは2013年に放映されたアイドルアニメ『ラブライブ!』のストーリー構造を、ビートシートおよび三幕構成に当てはめて分析する。分析の都合上、結末までのストーリーを割って話すことになってしまう。もし本作を未見のまま、この先を読んでしまうと、実際の視聴時の楽しみを削ぐことになってしまうことが予想される。申し訳ないが、気を付けてほしい。
 『ラブライブ!』は2013年1月より各局にて放映された、全13話(約3ヶ月=1クールで放映)から成る、TVシリーズアニメ作品である。本作は、9人の女子高生が、学校に所属するアイドル「スクールアイドル」として活躍することで、自身の通う高校の廃校を防ぐため奮闘する物語だ。本作ではほぼ全話を、シリーズ構成の花田十輝氏が担当した。(第10話では子安秀明氏との共同脚本。)また原案は存在するものの、アニメでの展開はほぼオリジナルであるため、脚本分析に適していると考える。
 本作はメリハリの利いた脚本と、逆に終盤の深刻な展開に「誰得シリアス」(「このシリアスな展開は誰が得するんだ。(もっとお気楽な展開を望んでいるのに。)」)という批判を少なからず受け、視聴者の反応は大きく二分されることとなった。結果的に一般的なヒット作の4~5倍の映像パッケージを売り上げる、2013年の大ヒット作品となった本作だが、今回の分析を通して、何が本作の視聴者の反発を招いたのか、そしてその人気の秘密とは何だったのか、いくらかのヒントを見つけることができるかもしれないと考える。

【25 1クールアニメをビートシートに当てはめる】

 まずは表2を見てほしい。シド・フィールドとブレイク・スナイダーによる脚本のページ配分を、そのまま全12話および全13話の1クールアニメ作品に当てはめた場合、各プロットポイントやビートは、何話のどの部分にあたるかを、表したものだ。
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 更に表3は、ビートシートで指定された配分に対応する『ラブライブ』の各話数では、実際にはどのようなストーリーが展開されていたのか。そして更に「ストーリー全体の役割」に着目して、展開を分析した場合、各ビートがどの話数のどの部分に対応するか、ということを示したものである。つまり、理論上のビートと、実際のビートを交差させて一覧にしたものだ。
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 ビートシートの理論に当てはまらない点は、勿論これ以降で挙げることになるが、第3話の終わりにあたる部分に第一ターニングポイントを置き、ここから本当のストーリーが始まるという配分が一致したことは重要だ。
 なぜなら今回の分析対象である『ラブライブ!』や、アニメ脚本家の黒田洋介氏による「1話でインパクトを与えて途方に暮れさせ、2話では(作品の)世界観とストーリーの方向性を説明する。そして3話では、それまでに説明したこと以外のことも起こり得るというサプライズを起こす」
シナリオライター・虚淵玄が明かす『まどか☆マギカ』ストーリーの発想法 | ニコニコニュース
というシリーズ構成(連続のシリーズもの全体のストーリーを考え、各イベントをどの話数に配置するかを考える、ストーリー面で監督に次ぐ責任者)としてのノウハウにも、かなり通ずるものがあるからだ。
 

【26 第一幕の展開と、ビートシートとの対応箇所】

 ビートシートと一致する出来事をまず追うのが良いだろう。第1話冒頭では、学校の廃校が突如として決定する。これはシド・フィールドの言うところの「インサイティング・インシデント」すなわち観客の誘引のために起こる事件である。スナイダーも強調する通り、オープニングで観客を引き込むには、インパクトのある始まりを作って、一気に物語の中に誘い込む必要がある。
 順番に説明していこう。ビートシートにおける「オープニング・イメージ」として働くのは、主人公の廃校に対する対応である。廃校の報せを聞いて主人公は「私の輝かしい高校生活が…」と泣き崩れる。コメディ感たっぷりに描かれるシーンだが、主人公である穂乃果の生活は、高校という形のあるものにしか依拠していないのではないかという示唆がある。また第1話Aパート(CMを挟んだ前半部分)では、生徒会長としてステージ上に立っていた母親との比較において、何をしたいわけでもない主人公の焦燥が描かれている。これらは「ファイナル・イメージ」と対比される。
 先取りして説明すると「ファイナル・イメージ」では、物語全体を通しての主人公の変化が描かれた。それは満席の講堂でライブを行う主人公の充実と、そして解散の危機に追い込まれた主人公のグループ(もう一つの「廃校」として機能する)を、主人公自身が繋ぎ止めるという成果によってである。
 次いで「テーマの提示」である。「今やりたいことをやることは、今やるべきとされていることを放り出してまで、やるに値することかどうか」というテーマは、ビートが指定する第1話Aパート、そしてダメ押しに第1話Bパート(CMを挟んだ後半部分)で繰り返し語られる。以降、あらゆる三幕構成は、この「『やりたいこと』対『やらなきゃならないこと』」という葛藤を軸に語られていく。
 更に「セットアップ」である。映画では冒頭10分、TVアニメなら第1話にあたる間に、本作でも、全ての登場人物と主人公の特徴、主人公の外的な欲求(廃校の回避)、内的な欲求(やりたいことをして輝きたい)が提示され、それに至る困難(主人公を目の敵にする生徒会長、差し迫る廃校)、主人公が抱える弱点(熱中したらすぐに動き出すが、押しが強引で、すぐに周りが見えなくなる)という部分は、余さず描写される。更には終盤に華のダンスパートを挿入、ダンスパートはこれから要所々々で披露されていく。
 次にビートと一致する「第一ターニングポイント」では、それまで準備してきたライブの幕が上がると、観客がゼロというあまりに残酷な現実が主人公を待ち受けるシーンに対応する。登場人物と観客は多大なショックを受け、緊張する。しかし1人だけ入ってきた観客を見つけた主人公は「歌おう、全力で!」とメンバーを鼓舞し、第一幕はクライマックス、登場人物と観客の感情は一気に盛り上がり、第二幕へと雪崩れ込む。
第1~3話では、スクールアイドルとしての体裁を整えるための準備が行われてきた。初ライブをなんとか成し遂げることで、主人公たちはスクールアイドルとしての第一歩を踏み出す。これにより、彼女たちの日常は一生徒からアイドルへと様変わりする。あそこで主人公の一言がなければ、この物語はあの時点で挫折していたことだろう。この事件によって登場人物は、もうひとつの世界、非日常の世界へと、主人公の確固たる意志をもって、突入したのだ。
 

【27 第一幕でビートシートと対応していない箇所】

 さて、ここまでの展開でビートシートに対応しないのは「きっかけ」である。第2話Aパートに配置されるであろうビートは、実際には第1話Aパート終わりに配置された。これはなぜか。なぜならこの「きっかけ」は「セットアップ」に含めるべき要素だからだ。
 映画であれば観客は席に着いたままでいてくれるだろうが、TVシリーズにあってはそうではない。第1話が終われば「来週のこの時間、またここに来てください」と言って、一週間だけ観客をイスから自由にしなければならない。また本作は「スクールアイドルとして奮闘する」という主眼がある。であれば「主人公がスクールアイドルを目にして衝撃を受ける」という部分は、自然と第1話へ組み入れられる必要があったのだろう。
 「悩みのとき」についても同様である。本作は群像劇であるため、主人公一人だけが悩むわけではない。勿論、最も重要なポイントで悩むのは主人公だが、いつもは行動派の主人公に代わって葛藤するのは、周囲のメンバーだ。第3話Aパートでは海未が、第2話では真姫が、スクールアイドルへコミットすることに対して思い悩む。それは主人公に誘われるという「きっかけ」を第一幕に、各々が第二幕の葛藤を通し、第三幕において行動を起こすという、多重のプロットが敷かれている。特に第2話においては、主人公穂乃果に勧誘された真姫が、その熱意に押されて自分自身の欲求と向き合い、グループに合流するという、全体の基調となるパターンが提示される。これは先述した黒田洋介氏による「第2話ではストーリーの方向性を説明する」に合致するが、本作は更にストーリーを圧縮し、第1話に「インパクト」「ストーリーの方向性の説明」を盛り込んできたことを確認しよう。
 

【28 第二幕でビートシートと対応していない箇所】

 ここからは、本作の感情曲線を使って説明する。図3を見てほしい。
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 第4話からはビートシート通り、「サブプロット」がスタートする。第4話では花陽、凛、真姫。第5話ではにこが加入する。これら全てにおいて「やりたいこと」に対する葛藤を軸に物語は展開される。第6話では主人公のリーダー性を強調し、第7・8話では主人公の穂乃果を目の敵にしていた生徒会長の絵里と、陰から主人公をサポートしてくれていた希が加入する。
 しかし、ビートシートで指定されている「ミッドポイント」箇所では、幾分か深刻さは増してきたとはいえ、絵里加入への準備を進めている段階に過ぎず、ストーリー上の「ミッドポイント」は第10話ラストとなる。
 「ミッドポイント」すなわち、最大の葛藤に向けて一気に物語を緊張させていくために到達する、偽の最高到達点がここまでズレ込んだのには、2つの理由がある。1つ目には、9人という多人数の群像劇を描くにあたって、ミッドポイントまでの数話は、時間が少なすぎたこと。そして2つ目の理由として、本作を2本のメインプロットが貫いているという前提をとることで、分析できると思う。
 すなわち、主人公穂乃果のストーリーラインと、主人公を目の敵にしている生徒会長、絵里のストーリーラインである。
 物語を絵里の視点から見てみよう。絵里は廃校を防ぐため、生徒会を主な活動拠点として、独自の解決方法を模索する。しかしそれは容易に暗礁へと乗り上がってしまう。本作の中の説明を借りるなら、その理由は絵里が、スクールアイドルをやりたいにも関わらず、自己欺瞞としての生徒会活動を続けていたこと、またそれを学園長に看破されていたことであった。
 絵里の転換点は、まさにミッドポイント、第7話中盤である。ここに至って、絵里のプロットは、穂乃果たちのプロットに対して、接点を持つ。海未に、必要以上に主人公たちに執着している理由を偶然起こった事故を通じて問い詰められた絵里は、主人公たちに突破口を与えてしまう。続く第8話Bパートでは、絵里の葛藤が焦点となり、ここまでで最大の葛藤を経て、穂乃果たちはやっと9人のグループとして完成、絵里のサブプロットは結末を迎える。
 しかし第7話中盤は、実際の、本当のミッドポイントではない。この仕掛けが、本作の視聴者に最も深いショックを与えるための布石となった。ミッドポイントからの深い葛藤を抜けだしたあとは、結末までは本質的な危険には至らない。これは多くのハリウッド映画が実践している展開だが、しかしTVシリーズに応用するには問題がある。なぜなら、最後の数話はピンチの訪れない、消化試合のようなストーリーになってしまうからだ。これでは観客は退屈する。
 このときストーリー上では、これからスクールアイドルの頂点を決めるイベント「ラブライブ」を控え、観客はてっきり「ラブライブ」で優勝するラストであろうと早とちりしてしまったのだ。これでは作り手の思う壺である。

【29 本当のミッドポイント】

 本当のミッドポイントはどこに配置されたのか。ミッドポイントと言うと語弊がある。ミッドポイントとは、三幕構成の原理に忠実に考えれば、物語最後のプロットポイントに向けて落ちていくための、飛び込み地点である。いわば「最後の幸せ」だ。
 本作の本当のミッドポイント、「最後の幸せ」は第10話ラストに配置された。続く第11話から第12話にかけて、主人公たちはありとあらゆるものを怒涛の勢いで失っていくことになる。ラブライブの欠場、メンバーの留学、友情の喪失など、これは最終話である第13話の冒頭まで続く。これがビートシートでの「迫り来る悪い奴ら」にあたる。
 その転落の過程も非常に凝っていた。穂乃果がステージ上で過労に倒れたことにより、ラブライブの欠場が決まる。しかし同時に、彼女らの奮闘で、当初の外的な欲求である、廃校の阻止は成し遂げられてしまったのである。欠場の報せにショックを受ける穂乃果だが、メンバーの励ましを通して徐々に元気を取り戻す。しかし廃校阻止を祝うささやかなパーティの場で、結成当初のメンバーであることりの留学が発表され、穂乃果は更に失意の底へ突き落とされる。これを通じて、穂乃果は激しい口論の末、スクールアイドルをやめることを宣言、ビートシートの「すべてを失って」にたどり着く。
 ラブライブ欠場についても、そしてことり留学についても、穂乃果には死の匂いがつきまとう。虚脱状態になり、暗い部屋で体育座りするなどビートシートの「心の暗闇」は2回に分けて執拗に描写された。
 急転直下で転落し、希望を持たせてまた落とす。脚本家は登場人物をとことんまでいじめ抜くことが大切だと、『ハリウッド脚本術』のヒックスは述べているが、あまりに容赦のない描き方だ。テクニックとしては、ミッドポイントを後ろにずらし、更に見せかけのミッドポイントを配置することで、どこからが本当のピンチの始まりなのかを観客に誤認させたということだ。これにより、終盤の展開を圧縮し、最後の最後まで感情の上下動を観客に味わわせることができる。これが本作のストーリー上の最も大きな仕掛けである。
 

【30 『ラブライブ!』結末とその仕掛け】

 落ちるところまで落ちたら、あとは上がるしかない。その上がり方にも工夫がある。さきほど説明したように、主人公に並び立つキャラクターである、生徒会長絵里の存在は、最終的に穂乃果を立ち直らせるための直接の原因となった。絵里は第8話において、穂乃果に次いで重要なストーリーラインの葛藤を克服しているキャラクターである。ここでの登場は、それが理由だ。
 また、結成初期メンバーの海未が、第一ターイングポイントと同じ場所・同じシチュエーションで穂乃果を説得することによって、第二ターニングポイントへと至るという流れは、終盤の説得力を増した。これにより、圧縮した短時間の展開ながら、高い牽引力で観客を、感情の起伏の最高到達点まで引っ張っていくことが可能となっている。
 

【31 『ラブライブ!』のペース配分】

 振り返ってみよう。シド・フィールドの配分によれば、第一幕は約20%、第二幕は約45%、第三幕は約35%の割合で展開させるべきとなっている。しかし本作は、ストーリー上の役割に応じて考えれば、第一幕は21%、第二幕は75%、第三幕は3%という、非常に極端な構成をとった。その理由としては、本作が群像劇であるために、サブプロットをたっぷり語る必要があったこと。サブプロットが厚いために、第三幕への積み上げは充分であったこと。オーソドックスな構成に慣れた観客こそ引っ掛かる、サプライズを用意したこと。最終話まで本質的なピンチを持続させることによって、終盤のダレを防ぎ、濃密なストーリー展開を維持させたかったこと、などが挙げられる。

【32 「誰得シリアス」の原因は】

 『ラブライブ!』のストーリー展開は、中盤以降、スナイダーによって形作られた一般的な物語のフォーマットを外れた。スナイダーの指定したビートシートの要素を全て拾ったことは確実であるが、その配分までをトレースすることはなかった。それゆえ、フォーマットとしてはオーソドックスな成長物語でありながら、かつ物語にスレた観客にこそ、非常なインパクトを与えるような、意欲的な作品へと仕上がったと思う。しかし一方で、急激な感情の上下動とサプライズは、一部の観客に過負荷を与え、深い困惑を生むことになった事実は、本作のメジャー性・異端性という両面を示している。
 だが本作は大ヒット作品となった。これも事実だ。僕らはそれを、シド・フィールドとブレイク・スナイダーの理論の敗北と考えるべきではない。なぜなら、本稿で追ってきたとおり、彼らの理論の根幹にある三幕構成とその応用についての原理を使って分析すれば、本作ほど正しく要素を揃えた上で、「正しく破っている」作品は無いからだ。

【33 最後に】

 ここまでの流れをまとめよう。まず観客が物語に求める3つの要素を確認したあと、三幕構成と呼ばれる形式を満たすことで、観客の期待に応えられることを説明した。さらにシド・フィールドおよびブレイク・スナイダーという2人の脚本分析者の論を取り上げ、特にビートシートという、すぐれた、しかし便利過ぎる道具を導入した。次にビートシートを使ってTVアニメ『ラブライブ!』を分析することで、本作が中盤以降はビートシートの配分を破りつつも、各要素は押さえつつ三幕構成を守りながら、変則的な構成で成功をおさめたことを確認した。これによって、先に挙げた脚本分析者の正しさの幾分かと、そして理論に振り回されずに応用することで、更にエキサイティングな構成を、脚本家は観客に提供することができることを確認した。
 最後になったが、本稿はかなり長くなってしまったし、苦しい展開やヌケがあるかもしれない。しかし、三幕構成とその応用については、論を尽くしたつもりである。もし本稿の分析を基に、更にストーリーの分析をして頂ける方がいらっしゃれば、僕にとって非常な喜びだ。

以上