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漫画原作のアニメ化にまつわる原理的な問題 ~『ソウルイーターノット!』の洗練~

みなさん、『ソウルイーターノット!』観てます? 観ましょう。
TVアニメ『ソウルイーターノット!』公式サイト
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このアニメ、視聴を続けていくと絶対「アレ?」って思うはずです。
なぜかって、本作は明らかに面白いのに、どこが面白いのかわからないからです。

ただ漫画原作の描写と、アニメ上でなされた表現を読み比べていくことで、
本作が「漫画作品のアニメ化」にあたってどのような戦略をとり、
それがどのように画面に反映されているのかが
段々とわかってきました。

この記事では、本作が面白い3つの理由を、原作と比較検討しながら、
「なぜここは原作と違っているのか」を考えます。
その中で、「アニメ化」という行為でアニメクリエーターが
何をしているのかが、少しずつ見えてくればいいなと思います。

アニメ化にあたっての改変点と、その思想

本作が面白いのは、アニメ化にあたって
原作から変更する場所を戦略的に決定しているからですと考えます。
そして戦略があるから、作品全体のビジョンがブレないのだと思います。

本作の変更箇所は主に3つです。

1.「主人公つぐみの葛藤をストーリーの中心軸を据えること」
2.「リアリティレベルの引き上げ」
3.「フェティッシュな描写は積極的に盛る」

順番に説明します。

原作未完作品のアニメ化の根本的な問題

原作連載途中でのアニメ放映が原理的に孕んでいる問題は、
「原作の最終回とアニメの最終回は違う結末となる」ということです。

当たり前のことかもしれませんが、これは重要な問題です。
なぜなら、物語はオープニングシーンとエンディングシーンとの比較によって、
ストーリーの中で何が変化したのかを明らかにするものだからです。

つまり、エンディングシーンが原作・アニメで変化するのだとしたら、
それに合わせて、オープニングシーンも変更しなければならない。
もしかしたら、物語の過程も積極的に変更する必要があるかもしれないわけです。

例を挙げれば童話『シンデレラ』です。
なぜシンデレラは継母と姉二人にいじめられる必要があるのかというと、
物語の途中や最後で苛烈な仕返しを受けるからです。
子供に読み聞かせるために仕返しの部分を削り、
そして「最初の部分を変更しなかった」ために、
シンデレラに対する具体的で陰湿なイジメ描写だけが
残っていることに違和感があります。

話を戻しますと、『ソウルイーターノット!』アニメ版は、
原作とは違う場所で、最終回を迎えることになるでしょう。
そしてそれにあたって、
原作へのリスペクトを保ったまま、変更すべき場所は変更する。
本作は、ここのバランス感覚に異常に長けているんですね。

春鳥つぐみは選ばない

本作は、いきなり金属製の武器に変身する能力に目覚めた主人公が、
武器と、それを扱う職人の学校「死武専」に入学するところから始まります。
漫画原作からアニメ化するにあたって、本作は
主人公である「春鳥つぐみの選択」に、ストーリー全体の軸を転換させています。

徹底分析 ソウルイーターノット 原作比較 - まっつねのアニメとか作画とか
上記記事(とても面白いです)でも述べられている通り、
ソウルイーターノット!』原作は、
つぐみが死武専の長い階段を登っている場面が第1コマです。
しかしアニメ版では、日本にいるつぐみが武器として目覚め、戸惑い、
(恐らく)ヨーロッパにある死武専まで
空路で向かうまでのシーンがオープニングシーンとして追加されました。
※死武専の町には、アウシュビッツ収容所やスペイン広場のような
 ヨーロッパ風味の建築物がごちゃまぜで存在しています。

つぐみの家族については、原作1巻183ページでつぐみ自身が触れているため、
設定としては最初から存在していますし、
1巻24ページでは日本の高校でのシーンも1コマ描かれています。
しかしそれを具体化したことで、
つぐみが自分から積極的に死武専へやってきたわけではなく、
武器としての自分に目覚めたこと自体にハッキリとした自覚もなく、
流されるままこの学校へやって来てしまったという風合いが強くなりました。

なぜこのような構成になっているのか。
それは、つぐみが初めて武器に自分から変身する重要なシーンに
「私、好きで武器になったんじゃない」というモノローグ
アニメ版だけのセリフとして追加されていることがヒントになります。

つぐみは自分から武器に変身する瞬間まで、
主体的な選択をしたこともなければ、
自分がこれから武器として生きていかなければならないということも
ハッキリ自覚しているわけではありません。
「つぐみが初めて自分から武器に変身する」というシーンに対して、
そこまでのつぐみにまつわる因果関係を全て集中させるため、
長いシーン追加があるわけです。

刃で何かを断つこと、何かを決断すること

つぐみが武器になるシーンでは、重要な追加セリフがあります。
それはゴロツキがつぐみが変身した武器を見て
「見ろよ、刃がないぜ」という部分です。
原作では第2巻のトンプソン姉妹戦で出てくる言葉ですが、
序盤でもここは強調されています。
※実は原作1巻の該当シーンを参照すると、
 つぐみの武器には刃が付いているコマも存在します。
 しかしこれは以降の展開で重要となるため、
 アニメ化にあたってこの混乱(?)は整理されたように思えます。
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つぐみが変身したハルバード
(先端に小さな鎌のついた槍。「春鳥」だから?)には、
何かを切るための刃がついておらず、
ただの板のような状態になっています。
つぐみは友人であるめめ、アーニャのどちらをパートナーに選ぶのか
これからシリーズ全てを使って悩んでいくことになります。

つぐみの心情はクラスメイトの茜によって
「パートナーを1人に決めると
もう1人を傷つけてしまうと思ってるんでしょ?」
看破されます。確かにつぐみは今、誰も傷付けたくないと思っており、
それが自分の「魂に眠る刃」(劇中の表現)に
反映されてしまっているわけです。
つまり、刃によって何かを分断・断ること、
決断することに、つぐみは怯えている。

しかしつぐみのそのような態度は友人二人を不安にさせるばかりか、
親しい人々を危険に晒すことになります。
茜はそんなつぐみを「優しいね」と評しますが、
茜は本当の眼を隠して生活しているキャラクターですので、
恐らくこれは正面からの本心ではないでしょう。

つまり、つぐみ自身は、武器つまり根源的に戦うということから、
そして何かを選び、
同時に何かを捨てることから逃れられない存在であることを
まだ受け入れることができずにいるということです。
※これは本作がファンタジーだとしても、
 僕らに強く訴えかけるものがあります。

つまり、何かを傷付けるかもしれないというリスクを引き受けることでしか、
強くはなれないし、誰かを守ることもできないという世界観のもとで、
ストーリーの描写が整理されていることがわかります。

そして第1話の中に、シリーズ全体で解決されなければならない課題が、
原作の要素を整理することで、きちんと蒔かれ、伏線になっている。
これは、シリーズ全体を見越した上での原作からの変更だと思います。

最も大きな追加シーン「アーニャの死武専ブローチ」

つぐみの優しさが誰かを傷付ける可能性があるという部分
より強めて表現するために設けられたアニメオリジナルのシーンが、
さきほどの記事でも挙げられている、アーニャのブローチです。

1週間のバイトを終えたつぐみ達3人のシーンで、
アーニャがたい焼きを買ってきます。
※原作ではバイトとたい焼きは全く別の話数に存在する描写ですが、
 ストーリー展開を組み替えたことで、
 シーンあたりの情報量が煮詰められています。

アーニャのたい焼きを食べながら、つぐみたちはアーニャに、
死武専のシンボルであるドクロのブローチをプレゼントします。
※実はこのシーンはアニメオリジナルであり、
 実は原作ではいつの間にかドクロのブローチを身に着けてます。

プレゼントにアーニャは喜び、その話数は終わりますが、
これは、以降の不穏な展開の伏線です。
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ちょっとしたすれ違いから1人で帰宅するアーニャに、
死武専に仇をなさんと暗躍する、魔女の勢力からの刺客が現れます。
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死武専生であれば無差別に危害を加えようとする敵が
アーニャを狙おうと決めた理由は、
彼女が着けているブローチであることが、映像からわかります。
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(勿論、原作もそうです。)
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つぐみの全くの善意が、逆にアーニャを
命の危険に晒すことになってしまった
という展開に変更されたことで、
ネガティブな意味で、つぐみの選択が
以降の展開の引き金になっているわけです。

つぐみは今、自分が自覚的に選びとったものしか、
自分の選択ではないと思っているかもしれません。
しかし無自覚に行った行動の因果が巡り巡って、
重要な決断の一部をなしていること。
そういう世界観の表現として、
この変更にはクリエーターの重要な意図があります。

このようにストーリー全体が、つぐみに対する
「選択することのリスクと強さ、
選択しないでいることの優しさと弱さ」という軸で
シリーズ全体が整理されているわけです。

これを少し迂回して話せば、TVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の作中で、
「因果線が束ねられ、
全て今の○○に連結されてしまう」という表現が出てきます。
作中では、ひとつの選択が何らかの理由により、
非常に重要なものに変化させられてしまう
という意味で使われていますが、
本作では、漫画原作からアニメ化する過程において、
同じように、「つぐみの選択」に対して
「因果線を束ねる」という作業が行われているとも言えるでしょう。

橋本昌和監督という巨大な個性

本作がこのような形で改変がなされている理由を予想しますと、
それは本作の橋本昌和監督の個性にあると思います。

P.A.WORKSで『TARI TARI』を監督した橋本監督は、
本作と同じく、シリーズ構成・脚本を兼ねることで
作品全体のトーンを統一する手法をとっています。
そして本作もクレジットを見る限り、同様の方法で
制作を進めているように見えます。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002)の神山健治監督も、
アニメスタイル第3号 138Pで脚本を
「作品作りの根幹にあるもの」と位置づけていますが、橋本監督も同様に、
脚本レベルで作品の自身の管理下に置くタイプの
リエータであることが伺えます。

まとめます。
ソウルイーターノット!』は原作とは違う最終回を作る必要があります。
そして原作既刊の情報の中で、最も重視されている部分は
「主人公であるつぐみの選択」であると判断したのだと推測します。

本作は、これをストーリーの主軸に置くという思想のもと、
原作のエピソードを組み換え、必要に応じて修正・変更し、
またシーンを追加することで、
シリーズ全体を見越した再構成がなされています。
これにより、本作は原作を知らない読者にも、
そして原作を既に読んでいる読者に対しても訴求力のある、
ひとつのテーマに全ての描写が集中するような、
一貫した表現が随所で楽しめる作品となっています。

本日は以上です。

蛇足

長くなってしまいましたので、
下記2つについては、次の記事で説明します。
その記事は、もっと軽い調子のものになると思います。
2.「リアリティレベルの引き上げ」
3.「フェティッシュな描写は積極的に盛る」

また橋本昌和監督の作品『『TARI TARI』については、
下記の本でリサーチしましたので、
興味のある方はお手に取っていただければ嬉しいです。

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