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あにめマブタ

@yokolineのアニメ記事がアップロードされます

押井守監督のプレゼンと製作委員会

押井守監督作品『スカイ・クロラ』のディスクには

押井監督が製作委員会のメンバーに対して

どのように自分の撮りたい作品をプレゼンしていったかが、

部分的な映像記録として残っていました。

スカイ・クロラ (通常版) [Blu-ray]

スカイ・クロラ (通常版) [Blu-ray]

 

押井監督独特の低い早口で、しかし淀みのない言葉は力強く、

「この映画は絶対すごいものになるぞ…!」とさえ思わせます。

おそらく監督は過去の作品でも、このようにして

スポンサーたちからGOサインを勝ち取ってきたのだと思います。

以下、抜粋です。

 

<生死>

かつては"死"を実感できる人間だけが

大人と呼ばれた

それは生きることの

リアリティのことなんですよね

生きることの内実を理解するということは

それだけ"死"に接するということなんですよ

"死"の可能性として…

いずれ死ぬからこそ"生"というものを

実感できるんだ

だからそのことがわからないヤツは

つまり子供でいる間は

本当に生きているとは言えない

生かされているんだ

(2007/2/2 第一回製作委員会にて)

 

<人生>

明日の可能性のために

今日を生きるのではなくて

今日一日を生きる情熱が

明日を呼び寄せる

あえて若い人に言うとすれば

目の前に 鼻を鳴らして

足にすがりついてくる子犬がいたとして

その子犬を抱き上げるか

抱き上げないかというね

それが新たな人生を制約することに

なるかもしれないけども

それを制約ととるのか

新しい出会いととるのか

自分自身の情熱をかける対象に出会った

そういう出会いだと捉えるのか

犬を抱き上げた瞬間から

自分の人生が始まる

それは男と女の出会いもそうであり

親と子の出会いもそうである

それが今回

僕がこの映画で伝えたいことのすべてです

(2007/11/16 第三回製作員会にて)

 

<映画>

映画というのは 僕が基本的に誰かと

語ることによって成立するんであって

観ることによって映画が完結するということは

正確じゃない

映画を作るという行為は

むしろ社会的な行為だった

作品を作るという表現者としての仕事は

そこで完結するわけじゃなくて

それは 世の中にどういう感じで受け止められて

どういう反応が起きてということ

すべてが映画の行為だったんです 

(2007/9/4 宣伝会議にて)

 

抜粋、以上。 

(なお、これらの発言があった「製作委員会」は

 合同出資している製作委員会メンバーが、

 作品のみならず、作品のあり方を包括的に協議するための、

 会議そのものを示しているようです。)

 

一方、アニメスタイル002の神山健治監督への

『009 RE:CYBORG』(サイボーグ009のリメイク映画)に関するインタビューでは、

押井監督の言葉が、製作委員会で

時に空回りすることもあったことがある程度詳しく記されています。

(そもそもサイボーグ009のリメイクは押井守監督作品となる予定でした)

アニメスタイル 002 (メディアパルムック)

アニメスタイル 002 (メディアパルムック)

 

また、古くは『ルパン三世』劇場版の企画でも、

スポンサーサイドとのすれ違いがあったことが本人から語られています。

幻の「押井守版・ルパン三世」(押井ルパン資料1)

「宮さんと残念会やりましたよ。寿司食って飲んだくれて。正直言って相当こたえた。
ダメージになった。そのときに、『やっぱりイケイケだけじゃものはできない、
戦略が必要だ』って感じた。人を巻き込むことの必要性とかも。
それから戦略家になった。どうやって自分の企画を通すかに関して、
ものすごく用意周到な人間になった。負ける勝負は絶対しなくなったし」

幻の押井ルパンは「虚構を盗む」はずだった(押井ルパン資料2)

 

宮崎駿監督には鈴木プロデューサーがおり、製作のブレインとして活躍しています。 

しかし押井監督は自分の言葉だけで

スポンサーを説得していかなければならなかったはずです。

そんな状況が、監督の理屈っぽい作風に深い影を落としていると感じます。